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2-4:観念一新の 「 クラフトマンズ・シティ 」 : 上

2010年12月13日

ぶっちゃけ、今後 「 中心市街地 」 に求められる姿がこれまでの延長線上にあるとは思えない のです。

 - パリに最初の百貨店が誕生してから150年~。
 - 人々を惹き付ける商業施設がスーパー、コンビニ等々へと業態変化をしつつ多様化していますが、
 - その体質に見る顕著な特徴は、「 中心市街地 」 に拘らぬ臨機応変な立地対応性にあります。
 - これらは、多店舗展開、車依存をその核なる戦略として発展させた形態だとも言えます。

とはいえ、都市の将来から 「 中心市街地 」 が無くなるなんてこともない と信じます。

・・・・・・
・・・・・・

現在に至る枝が枝分かれする前に一旦立ち返り、別の枝を組み立て直す時代となったようです。
そうですね、パラダイム・シフト です。
・・・
取合えず、前回記事をおさらいしたいと思います。

  -   ● 中心市街地の活性化を図るには、商業・公共施設の再充実策だ、やっぱり。
  -   -   ▼
  -   ● そうであれば、車利用者、即ち駐車場への対策が必要不可欠。無ければ話にならん。
  -   -   ▼
  -   ● でも車依存であれば、結局は郊外やロードサイドの店の方が便利だ!
  - 
  - なんてことは、否応のない現実なのは既に皆が皆判っている。 で、あれば ・・・
  - 頭の 「 商業・公共施設の再充実策だ、やっぱり 」 な観念こそを疑ってみる必要があるんじゃなかろうか。
  - ・・・
  - そこで、元へ元へと辿るように考え直してみたい。
  - 
  -   ● 車依存であれば、郊外とかロードサイドの方が圧倒的に便利だ。
  -   -   ▼
  -   ● そうであれば、車交通に依存しない業種による中心市街地の再構築も一考の余地がありそうだ。
  -   -   ▼
  -   ● ・・・・・・
  - 
  - のような考察も意味を持ちそうだ。
  - それなら ・・・・・・ の過程で、「 昔の都市を構成していた町々がどうであったかを探る 」 のも有効かも。
  - ・・・
  - でも、誰もこんなこと言わないし教えもしないし学校の試験にも出るこたぁないんだよなぁ。不思議だな。
  -
  -  - 前記事タイトルの 「 試験にゃ出ない 」 って何だ?と聞かれました。
  -  - まぁ、確かに判りにくい。 「 誰も言わないけど 」 の意です。すみません、奇をてらっちゃって。

と、以上のようなことでした。

・・・・・・
・・・・・・

洋の東西を問わず、古都と言われる街の往来の激しい大通りを一歩入った小路とかを歩いていると、
これが以外にも、トンテンカンテン、トンテンカンテンと 手仕事の音 が響いてくるのに気付くことがあります。

 街には手仕事の音が響いていたものだが、・・・

大都市であればより顕著だったでしょうが、どんな街にも職人の街が存在し、また今に残る処もあります。

そうなんです、街は モノの商いをする場 でもありますが、モノを作る場 でもあったわけです。


  2-4:観念一新の 「 クラフトマンズ・シティ 」 : 上 明治東京 : 銀座~木挽町~築地

  ※ クリックすると、goo 地図の当該ページを開きます。そして、左上にある「明治」ボタンを。

 - goo 地図 : 古地図 のサイトはこちら。 ○ 古地図 - goo 地図
 - 文字の並びは、上⇒下は問題ないでしょうが、明治時代ですから右⇒左、右上⇒左下です。

殆どの人にとって東京・有楽町駅を出て東(海側)エリアの認識は 「 銀座~築地 」 だと思います。
・・・
ですが、明治時代 の地図を覗いてみて下さい。
「 銀座~木挽町~築地 」 と 「 木挽町 」 なる町名を発見 できるでしょう。

 - ええ ・・・ 歌舞伎座がある辺りになります。

また、その 「 木挽町 」 から北に、京橋~日本橋~神田 へと明治時代の地図を辿って見てください。
江戸時代~のこの下町エリアが、如何に 職人の街 であったかが、その町名から判るのです。

・・・・・・
・・・・・・

ところが我が国では、 「 街中手仕事音 」 がめっきりと減ってしまった のを実感します。

 - とても残念ですよね。
 - ・・・
 - 現在でも幾らかその名残があるとすれば、陶器を造る町々(街々)でしょうか。
 - また、酒、醤油、味噌、酢など醗酵モノが盛んな地も、まだ面影が残っているようにも感じます。

これは、街で作られ、そして売られていたはずの 「 モノ 」 が、
利便性追求、或いは均一化・大量生産などの社会システムの度重なる革新や需要層の感覚変化に併せて、
「 モノ 」 を作っている場、情景が人々の前から遠ざかった 結果です。

 - インターネットの発達で、特にこの10年余りの、「 モノを売る・買う 」 の社会環境は激変しています。
 -  ○ 統計局ホームページ / ネットショッピングの状況
 -  ○ インターネットショッピング調査 : 富士通総研


 「 モノ 」 を作る現場の復権

ですが、・・・ 可笑しなことに、この10年余りで逆に えてきた 「 モノ作りの現場 」 がある のです。
・・・
さて何でしょ~~~ぅかっ?

 - う~ん、焦らしてみたいけれど、ブログじゃ無理だなぁ。つまんない。

例えば、工場見学 です。???と思われる方が多いかもしれませんが。
・・・
工場見学といっても、作業場内をゾロゾロ見て歩くんじゃありません。
施設に作業風景を見学するための専用スペース(ギャラリー)が作られるようになったのが味噌です。

 - 「 モノ作りの現場 」 は、地に足着いたエンターテインメント、イベント、興行だと言えます。

例えば、レストランの厨房・キッチンのオープン化 です。
・・・
寿司屋でも天麩羅屋でも明らかなように、
元来和食の店は客の前で作ることも重要なサービスの一つなのです。
それがフレンチ、イタ飯などの洋食屋にも波及してきたのですね。



  

 - ちょっと古い映像ですが、この様な見学の発展形として今の潮流はあります。



ところで、今日も東京だか大阪だか名古屋なのか、どこかの百貨店の 「 ○○県大物産展 」 で、
お客さんを前にして、幾人かの職人さんが竹を編んでおられるかもしれません。

 ○ たくさんとくさん takusan.net : デパート物産展、アンテナショップイベント情報

しかし、職人さんの仕事っぷりは本来の仕事場を覗かせて貰うのが一番なんです。

 - あれでは動物園の白熊と変わらないじゃないですか。
 - 同じ仕事であっても、パフォーマンスはパフォーマンスです。

地に足が着いていなきゃいけません。仕事は本来、現場で息付いているんですから。

・・・・・・ つづく ・・・・・・


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