島津荘水流百景-015 / 祝吉(郡元町)
2017年11月17日
- 都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
- 私はそんな想いが日に日に増しています。
-
- その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
- ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
-
- ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
- ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。
● ● ●


※クリックで拡大 「 一枚目:1200*800、二枚目:1200*800)」 : ここは昔懐かしき用水路
冒頭に書いている通り、いつからかこの地にあったであろう水の流れを想像するようになった。
・・・
盆地である。人工的護岸で固められる以前、周りの山々から流れ出てくる水はこのシラスで覆われてしまった擂り鉢の中でどのような流れを描いていたのだろうか。私の興味はそこにあるし、実は将来の都城「水流」理想像も素直にそこにあった姿への回帰、再生ではないのかとの感触もある。
川に関心が向いたのは故郷を出て初めて住んだ町が京都だったことにある。
同じ盆地なのに川の景観が全く違ったからだ。街の中心を流れる鴨川にも洛西の桂川にも堤(土手)がない。
これは気になる。 と言うことから、それからは行く先々の川の様子は必ず確かめるように。
・・・
賀茂川には堤があるじゃないかって? でもあれは、付け替えて鴨川に合流(Yの字に)させたため。
この付け替えの事実は堤のある川が生まれる答の一つで、眼から鱗だった。
これまで何か所か見てきて判るように、町に葉脈の如く存在していた古の「水流」は治水工事を重ねる中でほとんどがその姿を消失してしまっている。あるものは消え、あるものは暗渠へと姿を変えて。
ところが、嬉しいことにこの地にもまだ「島津荘」を彷彿させる「水流」が残されている。ここは市街地(の近場)での唯一の救い、「島津荘」の良心と言ってもよい。

※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 河岸段丘の足元を
祝吉は「島津荘」の治世の中心地だった処である。その北側には鰐塚山麗に源を発した沖水川が流れる。
・・・
あと 1km 程も下れば大淀川に合流するのだが、面白いのはここに少し上流の三股町から 3m~程の河岸段丘が見られることだ。
現在の沖水川左岸(南側)は堤で流れを押えられているのだが、
元は洪水時は特に、この段丘部まで水が押し寄せていたことが伺われる。
「島津荘」の良心はその段丘の足元に流れる。現地に農業用水路との説明はあるのだが、この流れの正式名称は全く知れない。ホタル生息地として大切に守られていることから「祝吉ホタルの里」の名だと通りがいいようだ。
・・・
用水路とあるが全く何もない処に流れを通したものとは思えない。沖水川とこの段丘の間に有した小さな流れをこの段丘下に整えたもののような気がしてならない。ともあれ、実に誇らしい水の流れである。

※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 横断する道との交わり部に親水空間
東から西に流れる用水には数か所南北に道路が横断しているのだが、そこには流れに触れる設えが見える。昔は町のあちらこちらに似たような設えが見られたのであろうか?いついつまでも残しておきたい貴重な遺産だ。
・・・
小さくではあるが、下の写真の右側に田の神(たのかんさぁ)も見えている。

※クリックで拡大 「 800*1200 」 : ここにも奥に階段の設えがある
東は国道269号の少し入った場所から西は元高木原用水路(現在は道路)の高架橋下までの凡そ1.2km。
北には沖水川があり、段丘が北に落ちている故に街からは見えぬ隠れたことが幸いしたのだろうか、秘密の隠れ家。
・・・
暑い夏の散歩にも持ってこいだったが、ホタルが乱舞する季節はまた見事なのだろう。


※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 水のざわめきときらめき
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島津荘水流百景-018 / 長田峡
島津荘水流百景-017 / 甲斐元町
島津荘水流百景-016 / 上川東
島津荘水流百景-014 / 早水公園
島津荘水流百景-013 / 祓川(はらいがわ)湧水
島津荘水流百景-012 / 都城~(境界)~三股
Posted by Kashiwa★da at 17:00 | Comments(0)
| Photo / 島津荘水流百景
- 都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
- 私はそんな想いが日に日に増しています。
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- その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
- ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
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- ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
- ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。
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※クリックで拡大 「 一枚目:1200*800、二枚目:1200*800)」 : ここは昔懐かしき用水路
冒頭に書いている通り、いつからかこの地にあったであろう水の流れを想像するようになった。
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盆地である。人工的護岸で固められる以前、周りの山々から流れ出てくる水はこのシラスで覆われてしまった擂り鉢の中でどのような流れを描いていたのだろうか。私の興味はそこにあるし、実は将来の都城「水流」理想像も素直にそこにあった姿への回帰、再生ではないのかとの感触もある。
川に関心が向いたのは故郷を出て初めて住んだ町が京都だったことにある。
同じ盆地なのに川の景観が全く違ったからだ。街の中心を流れる鴨川にも洛西の桂川にも堤(土手)がない。
これは気になる。 と言うことから、それからは行く先々の川の様子は必ず確かめるように。
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賀茂川には堤があるじゃないかって? でもあれは、付け替えて鴨川に合流(Yの字に)させたため。
この付け替えの事実は堤のある川が生まれる答の一つで、眼から鱗だった。
これまで何か所か見てきて判るように、町に葉脈の如く存在していた古の「水流」は治水工事を重ねる中でほとんどがその姿を消失してしまっている。あるものは消え、あるものは暗渠へと姿を変えて。
ところが、嬉しいことにこの地にもまだ「島津荘」を彷彿させる「水流」が残されている。ここは市街地(の近場)での唯一の救い、「島津荘」の良心と言ってもよい。

※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 河岸段丘の足元を
祝吉は「島津荘」の治世の中心地だった処である。その北側には鰐塚山麗に源を発した沖水川が流れる。
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あと 1km 程も下れば大淀川に合流するのだが、面白いのはここに少し上流の三股町から 3m~程の河岸段丘が見られることだ。
現在の沖水川左岸(南側)は堤で流れを押えられているのだが、
元は洪水時は特に、この段丘部まで水が押し寄せていたことが伺われる。
「島津荘」の良心はその段丘の足元に流れる。現地に農業用水路との説明はあるのだが、この流れの正式名称は全く知れない。ホタル生息地として大切に守られていることから「祝吉ホタルの里」の名だと通りがいいようだ。
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用水路とあるが全く何もない処に流れを通したものとは思えない。沖水川とこの段丘の間に有した小さな流れをこの段丘下に整えたもののような気がしてならない。ともあれ、実に誇らしい水の流れである。

※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 横断する道との交わり部に親水空間
東から西に流れる用水には数か所南北に道路が横断しているのだが、そこには流れに触れる設えが見える。昔は町のあちらこちらに似たような設えが見られたのであろうか?いついつまでも残しておきたい貴重な遺産だ。
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小さくではあるが、下の写真の右側に田の神(たのかんさぁ)も見えている。

※クリックで拡大 「 800*1200 」 : ここにも奥に階段の設えがある
東は国道269号の少し入った場所から西は元高木原用水路(現在は道路)の高架橋下までの凡そ1.2km。
北には沖水川があり、段丘が北に落ちている故に街からは見えぬ隠れたことが幸いしたのだろうか、秘密の隠れ家。
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暑い夏の散歩にも持ってこいだったが、ホタルが乱舞する季節はまた見事なのだろう。


※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 水のざわめきときらめき
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島津荘水流百景-012 / 都城~(境界)~三股
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