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Posted by みやchan運営事務局 at

 




4-16[仮想プラン]大王通線を中央通り(10号線)の市内代替線に

2018年03月31日

     -  おことわり
     -  
     -  「 都城まん中が公園 project 」 は、私 Kashiwa★da による個人的思索による街づくり計画案です。
     -  ・・・
     -  文章によるだけの概念的なものでは充分な伝達が困難だと考えますので、
     -  現実の都城の地理を利用して、私の欲する 「 都城 」 の将来の街景の絵を紡いでいきたいと思います。
     -  その為の手法として、規制をせず地図上のあらゆる敷地に勝手なプランを描くこと、
     -  この時に権利関係、法規関係、金銭関係等は無視してしまうことをお許し願いたいと存じます。
     -  
     -  読んで下さった方で、何か感じ考え思うこと等何でも教えて頂けると助かります。
     -  ※最終形が決まっている訳ではありません。その都度修正しつつ Version をアップしていく考えです。



Version 008_2:大王通線を中央通り(国道10号線)の代替線にする

前回は、市の繁華街であった中央通りを緑道公園化するプランを提示した。
 
2018/02/03
4-15[仮想プラン]中央通り”緑道化”計画
今回はその中で、街の中心地として再び活力を取り戻す為の 「中央通り」再生 の具現化である。

既に地方都市に於いては、私たちの「街・繁華街」での消費行動は20年前と言わず10年前と比べても大きく異なった形態へと大変革が起きてしまった。それは、物販にしろ飲食にしろ消費活動の集積地であったかつての「街・中心市街地」がその役目を失ったことを意味している。
 ・・・
一時、車社会絶対主義に塗れた時に私たちの消費行動は「バイパス路線商業地」に重心を移したかにも思えた。が、私たちの欲望は、変化し続ける利便性と人間本来が持つ情緒渇望の二面から、その代替されるかに見えた都市構造をも軽々と乗り越えてしまったようだ。


そこで求められるは、幹線である中央通り(国道10号線)の代替線(バイパス)である。

 ・・・・・・
 ・・・・・・

これまでに何度も触れてきたが、改めて簡単にその「中央通り」の構造的意義と変遷について述べておこう。構造的にと言うのは、「中央通り」が「幹線=繁華街」であり続けた故の功罪についてである。
 ・・・
街の中心を縦断する形の「中央通り」は江戸時代を通して既に幹線であった。そして現在に至るまで、そのまま幹線であり続けている。ところが往来の主役は時代と共に目まぐるしく変化してきた。

 ・ 「人」の時代 : 街の大通り(幹線)は繁華街。逆も真なり、自明である。
 ・ 「人+公共交通」の時代 : 「幹線=繁華街」は相乗効果をもたらし、街に大きな発展をもたらした。
 ・ 「人+自家用車」の時代 : 幹線は街を壊すマイナス要因となり、今や車だけが流れるバイパス状態に。


そんな「中央通り」への危機意識は既にあり、既に幾度もテコ入れがなされて来ている。しかし、「幹線=繁華街」の構造に固執していても決定的な打開策はなく、もはやお手上げなことも実感としてある。哀しくも見事にバイパスと化した「中央通り」が昔日の「人」の街に戻ることはもうなさそうである。

  - それは例えは悪いが、人工蘇生装置に繋がれ、ようやく命を長らえている状態と言えなくもない。

とすれば「中央通り」再生への道筋は、「幹線」を捨てるか、「繁華街」を捨てるか、の選択に掛かっていそうだ。私の選択は既に前回記事で示したように「幹線を捨てる」である。幹線であることを捨てて、「中央通り」こそは「人」にスポットライトが当たる土壌を設えることに注力する。そのプランが「中央通り"緑道化”計画」なのだった。

 ・・・・・・
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しかし、現状は「中央通り(国道10号線)」は紛うことなき街の幹線道路である。この幹線機能を捨てるとすれば、その代替線を求めなければならないのだが、あるのだ。大王通線である。

  - 国道だからと言って聖域扱いなどしている時代ではないだろう。
  - 地方都市が自立していくためには、国元の「治外法権」システムにあるインフラは大きな壁だ。
  - 「何も手出しができない」であるのなら、「そのまま死んで行け」と言われている気分だ。


現在国道10号線に付託されている全機能をこの「大王通線」に移設する。つまり法的には市道ではあるものの、みなし国道とするのである。

 
  - クリックで拡大:1500*1540pxl ※ゼンリン地図 いつもNAVI をキャプチャして利用

市の都市計画を見てみると、この「大王通線」は西駅前交差点を南進し、そのまま真っすぐ八幡町から甲斐元町を縦断した後に「国道10号線」に接続する計画があるようだ。

  - 上記地図に点線部分で示した。
  -  ・・・
  - 個人的には、区画整理で早鈴、蔵原、中町の分断された姿を見るに、それは避けて欲しいと願う。
  - まっさらな道に付け替えて再びそこに街が蘇生することなんて、もう無理なのだ。高度成長期ならいざ知らず。


ところで最大の課題は、北から来た「国道10号線」がJR線の高架を潜った平江町での「大王通線」との接続だろう。ここに大胆な案に思えるかもだが、ロータリー で二つの通りを結び付ける案だ。「中央通り」への交通流入量をコントロールするための装置である。
 ・・・
当該地区は現状でもロードサイド店が立ち並んでいる。故にロータリー内に生まれる地はその発展形であるパワーセンター等での開発等も期待できるものと考える。 
パワーセンター
家電、衣料、玩具等の業種別に複数のカテゴリーキラーと呼ばれる大型ディスカウント専門店を集めたショッピングセンターを指す。スペシャリティある品揃えとリーズナブルな価格が特徴。都市郊外に出店することが多い。敷地面積の半分以上を、パワーセンターの核となる店舗が占め、その他のスペースに専門店が出店。80年代後半からアメリカで普及したショッピングセンターの業態であるが、日本ではパワーセンターそのものが集客力を高めている。アウトレットストアやオフプライスの店を集めた「アウトレットモール」と並んで、新しい業態の商圏として注目されている。
※ パワーセンター(ぱわーせんたー)とは - コトバンク より引用
そこには中央通りの大丸跡地での再開発をも併せて、都城ならではのコンパクトシティ創造への布石の意味もある。この場所は街中心部へと力を引き戻し集約するベクトル、役割を担えるはずだ。

  - 近年、街の重心がますます高速IC近くへと移動し、本来集積してなんぼの街機能が拡散してしまっている。
  - この現状は、日本列島の端っこの一地方都市として決して喜ぶべき状況とは言えない。


 ・・・・・・
 ・・・・・・

さて改めて上に示した地図を見てみよう。「中央通り」が幹線の呪縛から解き放たれたことがはっきり判るだろう。更には、これまで街中に埋もれていた「大王通線」の隠れていたポテンシャルに気付き驚かされる。

  - 中央通りは柵が多すぎて、もはやにっちもさっちもいかないのだ。だから建築的な解決法を一旦捨てたのである。
  - シャッター街と化した多くの商店街で同様の問題、そこには借り手の問題ばかりではなく、貸し手の問題もある。


と言うのも、この「大王通線」はたとえバイパス化したとしてもロードサイド店への対応が可能だからだ。むしろ交通量の増大は路線、並びに周辺地域の活性化にも繋げることにもなろう。ここが中央通りと違ってポテンシャルがあると言った理由である。
 ・・・
「緑道公園」へと舵を切る「中央通り」「パワーセンター&ロードサイド店」集積道へと変化していく「大王通線」は、点や線ではなく面として街を再生していく先導者、旗振り役になる。

  - 「人」と「公共交通」と「車」が有機的に結びつき絡み合う街の構造を探し出し創り出すものとして。

それは、明確に性格付けさせた二つの道があればこそなのだが、その二道に挟まれた中心市街地域への波及効果への期待だ。否、異なった二つの性格の道に挟まれたことを積極的に利用することへの期待と言った方がよいかもしれない。

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では、今回の「大王通線」バイパスも、これまでの[仮想プロジェクト]マップに落とし込んでおこう。

 
  - クリックで拡大:1500*1660pxl ※ゼンリン地図 いつもNAVI をキャプチャして利用


最終的に目指す処は「都城=コンパクトシティ」にある。そこに照準を定めるための大きなエナジーが「中央通り」と「大王通線」には秘められているし、その働きが求められてもいる。


  


 




4-15[仮想プラン]中央通り”緑道化”計画

2018年02月03日

     -  おことわり
     -  
     -  「 都城まん中が公園 project 」 は、私 Kashiwa★da による個人的思索による街づくり計画案です。
     -  ・・・
     -  文章によるだけの概念的なものでは充分な伝達が困難だと考えますので、
     -  現実の都城の地理を利用して、私の欲する 「 都城 」 の将来の街景の絵を紡いでいきたいと思います。
     -  その為の手法として、規制をせず地図上のあらゆる敷地に勝手なプランを描くこと、
     -  この時に権利関係、法規関係、金銭関係等は無視してしまうことをお許し願いたいと存じます。
     -  
     -  読んで下さった方で、何か感じ考え思うこと等何でも教えて頂けると助かります。
     -  ※最終形が決まっている訳ではありません。その都度修正しつつ Version をアップしていく考えです。



    ・・・・・・
    ・・・・・・

● Version 008 : 中央通りを”緑道公園”にする < Block-D~G >

中央通りについては、以前の記事でその役割と意義の変遷を振り返り、
2017/03/17
1-3:中央通りの役割、意義の変遷をおさらいする
中央通りから人の気配がなくなってどの位の年月がたったのだろうか。都城を長い間離れていたためにその変遷にまったく疎いことを知る。・・・私が都城を離れた当時は、まだ大丸、寿屋、ナカムラと健在で歩道は人々で溢れていたから尚更だ。 ・・・・・・ ・・・・・・さて、先に都城の江戸・幕末時絵図…
高度成長期に相乗効果をもたらした「幹線=繁華街」という構造も、現在では逆にその構造が足かせとなってしまい、将来への活路を阻害しているのではないかと疑問を呈した。以前からのそんな思いから、改めて中央通りへの再生ビジョンとして「修正3項目」を記したのが、こちら。
2017/01/18
4-13[仮想プラン]都城の再生ビジョンを再考する : 修正3項目
記事は、まず拠り所になるであろう要素や他所の参考例などを挙げたのちに、     -  それらに基づくプロジェクトを都城の街に仮想するという過程を取っています。     -  が、・・・     -  …

取りあえず、私のその都城再生に向けた「修正3項目」戦略ビジョンをここに再掲しておきたい。

 ● 中央通りを完全改造、未来の核もやっぱり昔の核の街
  - やはり人を取り戻すにも地政学的にもここがしっかりしないとダメ。生まれ変われ!
 ● 霧島・高千穂の峰を自然と文化から仰ぐ街
  - 高千穂の峰の美しさをもっともっとピックアップしなきゃもったいない。天孫降臨したんだぜ!
 ● 弓の街、「弓道やるなら みやこんじょ」の街
  - 他のどこになもい、都城が本当に自慢できるものってこれでしょ!

 ・・・・・・
 ・・・・・・

今回はその中で、街の中心地として再び活力を取り戻す為の 「中央通り」再生 の具現化である。

  - ビジョンに掲げた通り、完全改造の目論み。荒唐無稽と笑いたければ笑え、の心意気で。

既に地方都市に於いては、私たちの「街・繁華街」での消費行動は20年前と言わず10年前と比べても大きく異なった形態へと大変革が起きてしまった。それは、物販にしろ飲食にしろ消費活動の集積地であったかつての「街・中心市街地」がその役目を失ったことを意味している。
 ・・・
一時、車社会絶対主義に塗れた時に私たちの消費行動は「バイパス路線商業地」に重心を移したかにも思えた。が、私たちの欲望は、変化し続ける利便性人間本来が持つ情緒渇望の二面から、その代替されるかに見えた都市構造をも軽々と乗り越えてしまったようだ。

 ・・・・・・

以前の記事でも述べているが、都城の「街・繁華街」であった「中央通り」は今や全くのバイパスと化してしまっている。「バイパス路線商業地」ではない。本当の、ただのバイパスである。シャッター街と更地に挟まれた通りを車だけが盛んに通り抜けている。
 ・・・
また以前に、10号線の高速インターに至る「沖水地区」を副都心化(サブシティ構想)するような話を聞いた気もするが、現状は「バイパス路線商業地」の見本のような状況から抜け出せていないと言っていいだろう。

  - もはや機能しなくなった「幹線=繁華街」と「バイパス路線商業地」に共通するやっかいな問題は、
  - 道に人影が無いということだ。車がどれだけ行き来しても人の往来の無い処に活気は生まれない。
  - ・・・
  - 気になって、都城の中心を縦断している10号線を甲斐元から太郎坊まで歩いてみたのだが、
  - 悲しいことにすれ違った人は10人にも満たなかった。これが現実である。


 ・・・・・・
 ・・・・・・

ふと振り返れば、私の「中央通り」体験の99%は10代の頃のものであることに、今更ではあるが思い当る。そうなのだ、「街・繁華街」には大人だけではなく”車を持たぬ”大勢の子供も跋扈(笑)していたのである。

  - 商店街の衰退した原因の要因として「駐車場問題」が取りざたされて来たが、
  - その問題だけに縛られると、「街・繁華街」が有していた大切な意義・役割を見落とすように思える。


その対策案として、もうすぐ移転開館する「図書館」が「中央通り」に設けられたことは大きな一歩課題はその後に何が続くかであろう。既に述べたように、消費活動復権を求めてかつての「街・繁華街」回帰を目論んでも、それは元の木阿弥となることは必至だ。何よりも「街床」となる街の設えが欲しいところ。それは、特定の人の願いではなく全市民の切実な願いに繋がるものと信じる。

  - 「街床」は「漁礁・魚床」を転用した造語。

このことは、以前に同様趣旨の考えを「DASH海岸に想う」として記事を上げた。荒れ果てた海にいきなり魚を放しても、それは野暮と言うものだ。まずは「床」作りなのだ。
2013/06/08
5-1 「DASH海岸」 に 「街づくり」 を想う
皆さんは 「DASH海岸」 をご存知だろうか?・・・ヘドロが溜まり魚も住まなくなった小さな一港湾を 本来の江戸前の海に戻そう、というTV番組である。…

大都市ならいろいろな手を考えられるだろうが、地方都市で出来ることはそう多くない。特に建築施設的な解決法は「街床」には縁遠く、また闇雲に過ぎ無鉄砲極まりない手段に思えて仕方がない。
 ・・・
先に街再生を考えるに当って、大人への視点だけではなく子供の関わりも大事だと記した。大人も子供も集う「街床」に成り得る「街の設え」は何だろう?と考える。

結論、地方都市の現状から「公園」しかない。「街床」として、これ以上の設えは考えられない。


 
  - クリックで拡大:800*1050pxl
  - ゼンリン地図 いつもNAVI をキャプチャして利用

もう8年も経ったのか、パリのシャンゼリゼ大通りが全面、緑道になったことがあった。

   
   ● Google 画像検索 「2010 シャンゼリゼ 緑一面」 ※クリックで「Google検索ページ」を開きます

いやぁ、これを見た時は嘘だろう?!?と思ったものだ。今、考えても信じられない。

 ・・・・・・

ところで、数年前に本駅の東にある地下道で高校生二人組がギター抱えて演奏やっていた処に出会ったことがある。ストリート・ミュージック、大都市では街中の駅前広場や歩道で四六時中見かけるが、地方都市で見かけることは少ない。人(観客)もいなければ、場所もないことが考えられる。
 ・・・
また、これも暫らく前のこと、小さな脇道で一所懸命にスケボーをやっていた少年を見かけたことがある。近年盛んになったこのようなストリート・スポーツの場も大都市では特設の場が作られてきているが、地方都市では影が薄い。
 ・・・
更には、まだ学校に上がらぬ幼児たちが楽しめる施設が数々用意されているのが大都市ならではの力だ。街中に、遊園地がある。動物園がある。植物園がある。一面芝生の走り回り寝転がれる公園がある。ここで大事なのは「空間を消費する」ということではなく、「時間を消費する」という考え方

 ・・・・・・

重ねて申し上げるが、地方都市に欠けているのは、この「時間を消費する」という概念
 ・・・
思い返してもらいたい。「街・繁華街」は消費活動の場だけではなかったはずである。そこには、その町ならではの文化活動があった。果して、「街・繁華街」がその町の文化発信地、醸造地であったことの意義が失われていることこそが、現在の「街・繁華街」の最大の課題であると言ってもよい。


「図書館」があって、そこに老若男女、市民皆の課外活動が絡んでいく「公園」を繋げる。そして、これはまた緑の少なくなった街中の自然環境をも醸成する仕掛けでもある。

 ・・・・・・

※ おそらく10号線の車交通をどうするんだ?の声があがるはずで、そのことは補足記事を次回に。

・・・・・・
・・・・・・

※  「 Block 図 」 はこちらの地図を参照

   
  クリックで拡大:1100*1100pxl
  - ゼンリン地図 いつもNAVI をキャプチャして利用
  


 




島津荘水流百景-017 / 甲斐元町

2017年12月23日


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



    ● ● ●


    
     ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 姫城川超しに南東方向を見る


江戸時代に入り一国一城令が出される。それまで盆地の西丘陵部都島にあった都城の城は、現在の市役所のある場所へと下りて来ることとなり、領主邸として構えられた。

 ・・・・・・

日本全国、平城といえど防御は構えねばならぬ。出来れば三方、二方と自然の要塞化された地が有難いのだが、そんな「ごっつぁんです」な土地など夢の夢。そこで少なくとも一方だけは、の土地を探し出し殆どの平城は造られるのだ。
 ・・・
都城領主邸も南に流れる姫城川を活かし、少々小高くなっているその北側に居を移す。

    江戸時代、現在の市役所横の国道10号線に当たる道は存在していない。
    上段にもリンクを貼っているが、 ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     ・・・
    また昭和初期(昭和6年12月)に市が編纂した地図もあるので見てみると、
    北から伸びてきた「高岡筋往還」は、今の明道小学校にぶつかる形でT字路となっている。


地図を見てもらうと、市役所の南東に姫城川が南側に大きく廻り込んでいる場所があるのが判るだろうか。何故ここだけ大きく張り出しているのかと言えば、ここに小高い山、丘と言った方がいいのかな、があったからだ。

    今は公園となっているが、私の小学校時代には大きくシラスを削り取ってはいたがまだ山の残形があった。
    ここで敵味方のニ陣に分れシラスを丸めて投げ合って遊んでいたことを覚えている。
     ・・・
    当時その南側には姫城町公民館もあった。姫城川沿いの道からそこに上ってくる小さい坂道があって、
    そんな道、都城ではなんとも珍しく不思議な感覚がして好きであった。


おそらくここいら一帯の地面の下はシラス台地が拡がっているのだろう。しかしそのような地でも地上では鬱蒼と竹が密生していたのではなかろうか。今でも市役所からほんの数分の処を流れる姫城川を覗くと、そんな情景を想像できるのが私には楽しい。
 ・・・
この平成の世までなんとか乱開発を逃れて来たんだ。このまま無くならずに残って欲しい。

    と、他人がどうこう言えるものではないですが、街の中心地でこれは本当に貴重です。よくぞ、という感慨も。
    もし手を入れられる時が来ても、是非この風情を残して頂ければと切に願うものです。



    ● ● ● 


    
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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景

 

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