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島津荘水流百景-013 / 祓川(はらいがわ)湧水

2017年10月15日


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



    ● ● ●


    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 秡川湧水、水汲み場から流れを見る


霧島山系の麓に拡がっていた島津荘にも、御多分に漏れず幾つかの湧水がある。
 ・・・
この「祓川湧水」は御池の傍に位置し、その名は神武天皇誕生の際に体を祓い清めたことに由来する。

  ● 伝承地詳細 : 祓原・祓川 高原町|100の伝承地|ひむか神話街道

前回記事、「姫城川」と「柳河原川」のモヤモヤがあるだけに、これぞ川の源、起点だと溜飲が下がる。
だからと言うこともないが、実に清々しい思いに包まれる。

水の清らかさに加え、周りの緑や石も美しい。空気も美味い。いやはや自然が作り出す環境は最強だ。


    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 秡川湧水、水と緑と・・・


思いの外水量も多く、水汲みに来る人も多そうだ。地元の人に愛されていることも伺える。
 ・・・
ところで、日本の水はヨーロッパの水と違って軟水であるとよく言われる。

  ● Wikipedia : 硬度(水) - 水の分類
   ・・・
  ● せっけんライフ : 世界の水の硬度
  ● 水広場 : ヨーロッパミネラルウォーター 一覧

   残念ながら、ネット上では「祓川湧水」の水質の詳細は得られず。
   高原町「水質検査計画」は出てくるのだが、それに対応する検査結果はどこだろう?


だが霧島周辺で採取される水には中硬水~硬水が多いことはその特異な地形・地質のせい。もちろんミネラル分も多く、特にシリカ含有を売りにしているようだ。取りあえず、参考程度には。

   気になったので、ちょっとネットで調べてみた。
    ・・・
   ■ ファミリーマート 「霧島の天然水」 : 160mg / l
   ■ ディノス 「きりしまの名水 始元水」 : 171.2mg / l
   ■ 霧島天然水販売 「極天然水」 : 130mg / l
   ■ 福地産業 「福寿鉱泉水」 : 384mg / l
     ・・・
   ■ 霧島酒造 「霧島裂罅水」 : 39.8mg / l (軟水)
   ■ 湧水町 「丸池湧水」 : 30〜48mg / l (軟水)
     ・・・
   ■ 周辺自治体の水道水はほとんどが軟水。



    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 秡川湧水の水汲み場


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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景

 




<晴耕雨考>「記紀」考01:アマテラス、スサノヲは誰か

2017年09月08日

- 古事記は712年、日本書紀は720年に世界創生並びに我が国の建国を綴った歴史書である。
-
-  ネットで簡単に調べられるが、これまで全く関心のなかった人のために大まかなあらすじを記しておこう。
- 
- 幾人かの神様が出ては消えていくのだが、イザナギ・イザナミの2柱が現れ、数々の国や神を生んでいく。
-  ・・・
- ところが或る出産が元でイザナミが亡くなる。イザナギはイザナミを追いかけるが逆に諍いを起こしてしまう。
- ようやく逃げおおせたイザナギは、禊によりアマテラス・ツキヨミ・スサノヲの3柱を生む。
-  ・・・
- アマテラスの孫にあたるニニギノミコトがこの地上界に下りてくることになった。天孫降臨である。
- ニニギの子である海幸彦、山幸彦にも諍いが起きるが、ワタツミの力を借りた山幸彦が家督を継ぐことになる。
- 遂には、その孫であるイワレヒコ、後に神武天皇となる人物が畿内大和に向け東征することとなる。
- ・・・つづく
-
-  ところが、古事記・日本書紀を読んでいくと辻褄の合わない処や似た話が繰り返される処など散見されるのだ。
-  実の一人物が2つ3つの人物に分割されたり、複数の実人物が一人の人物に纏め上げられたり。
-  並行してあった史実を直列に並べたり、時代を前後していた史実を一緒くたにしたりひっくり返したり。
-  ・・・
-  よって記紀の解釈は多種多様にならざるを得ないのだけれど、そりゃないだろうと感じるものも多いのが現実で、
-  勿論、私の考えも他人様からは?かもしれぬが、長年あぁでもないこぅでもないと来たからにゃこれはもう致し方ない。
-
- アマテラス、スサノヲは言うに及ばず、イザナギ、イザナミも邪馬壱国の世情を反映させた話である。
-  ・・・
- 記紀の言う神武東征は邪馬壱国、つまり筑後から行われたが、それはイワレヒコではなく別人であった。
-
-   ※邪馬壱国は筑後についてはこちら。● <休憩一服>これで決まり邪馬台国:やはり筑後そして日向
-
- さて、同時期に日向高千穂(宮崎)に向かう人物がいた。後にニニギと呼ばれ、天孫降臨の主人公となってしまう。
- まさか自分が日本歴史に於けるメインストリームの一人になろうとはこの時はまだ誰も知らない。
-  ・・・
- その後のニニギ一族、幸運なことに落ち着いた先の南九州で隼人族を纏め、熊襲族を治め、主となる。
- 世代を重ね、高千穂峯の元でニニギのひ孫として生まれた(真の)イワレヒコは畿内大和に向かう運命にあった。



 ● ● ●


魏志倭人伝は、邪馬壱国(邪馬台国)卑弥呼、そして壱与(台与)という女王が国を治めたとする。

 以下、邪馬壱国、壱与に統一する。

しかしながら、争っていたとされる隣国の狗奴国は男王だと言うし、また古事記・日本書紀に描かれる出雲に於いてもスサノヲ、大国主と男王であることはご存知の通りである。更には卑弥呼の時代から遡ること一世紀以上前の西暦107年に後漢に朝貢したという面土国の師升も男王だ。

 面土国は北九州にあったとされ、時は吉野ヶ里の時代だ。さて・・・
  ・・・
 ちなみに、私は吉野ヶ里は邪馬壱国ではないと思っているのだけれど当時の国の雰囲気は知っておきたい。
 とiいうことで、ここなどは参考になる。 ● ここが邪馬台国なの?佐賀県「吉野ヶ里遺跡」の歴史 | wondertrip


これまで何となくではあるが、諸々の文献や資料を読んでいて他に女王の存在を匂わせるような国はなかったように思う。恥ずかしながら、このことは私にとって盲点の一つであった。

 魏志倭人伝に書かれる邪馬壱国の女王と男弟

さて、魏志倭人伝による2世紀から3世紀半ばまでの邪馬壱国事情については、Wikipedia より

倭国は元々男王が治めていたが、国の成立(1世紀中頃か2世紀初頭)から70-80年後、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きた(倭国大乱の時期は2世紀後半)。そこで、卑弥呼という女子を王に共立することによって、ようやく混乱が収まった。弟が彼女を補佐し国を治めていた。女王は魏に使節を派遣し親魏倭王の封号を得た。狗奴国との戦いがあった時期とされる248年頃から間もなく卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になることで収まったという。

※ Wikipedia:邪馬台国-概説 より

3世紀半ば(AC247or248)の卑弥呼の死という一大局面に於いて、登場するのが「卑弥呼」「壱与」「卑弥呼の弟」、そして「男王」であることに注目したい。

 この「卑弥呼の弟」と「男王」が同一人物なのか別人なのか? 一先ずは同一人物と仮定しておく。

 古事記・日本書紀に現れる神代の女神と男神

ここで一旦魏志倭人伝を離れ、古事記・日本書紀に眼を移してみれば、この3人から伺える邪馬壱国の様子がアマテラス・スサノヲに、更にはイザナギ・イザナミに姿形を変え妙に生き生きとした人物(神だけど)として立ち上がってくるから面白い。

くどくどと言葉で説明するのも実にもどかしいので図表にしてみよう。

 
  ※クリックで拡大 「 1040*870 」 : Fig 01●卑弥呼アマテラス・男弟スサノヲ


ところで、イザナギとイザナミが現れる前に、数々の神々が出ては消え出ては消えていく。これはいったいどういうことなのだろう?

 次々と独神が現れては消え、次に独神5柱、最後に独神2柱の後男女神が5組。
 その最後の男女神がイザナギ・イザナミである。


この時代の日本列島には幾多の国々が出来ては消え、出来ては消えていったことを言っていると推察。そして最後の独神2柱と男女神5組、これを神世七代と言うのだが、これが邪馬壱国の歴代の女王と補佐役の男王を表しているようにも思える。
 ・・・
結局のところ国を存続しえた大元の国は邪馬壱国だけなのだからこうなる。つまりは、その建国神話を編んだのが古事記・日本書紀ということだ。裏も表もない、そういうことなのだ。

 ・・・・・・

さて、イザナギイザナミの男女2柱は共同で国産み・神産みをする。これは男弟が卑弥呼を補佐し邪馬壱国を治めている姿に重なる。

 国産みは勢力下の国々というより交流範囲にある国々を示したもの、後に支配下となり重要な交通路となる島々で、
 神産みは卑弥呼が行った鬼道、即ち予言やお告げの中で現わしたものたちに見える。


ところが卑弥呼の死で邪馬壱国の国内情勢は一変。国を継いだ男弟はダメ出しを喰らい、再度女王の壱与を立てることで国内が治まったというから、下手な国家より共和制であったかもしれない。

 卑弥呼の死はイザナミの死。そしてイザナギの禊からは・・・

卑弥呼が死んだ卑弥呼の死はイザナミの死として古事記に刻まれた。イザナミはカグツチという火の神を産んだ時に陰部を火傷し、それが元で死んでしまうのだが、この火によって死んでしまう逸話は意味深だ。卑弥呼の死、何か争いごとの臭いがして仕方がない。
 ・・・
それは兎も角、残されたイザナギは死んだイザナミを追って黄泉国まで行くのだが、あろうことか逆に諍いになりイザナミに追われる羽目になる。否が応にもダメ出しされた男弟の姿が重なる。

 ・・・・・・

イザナミからやっとことで逃れたイザナギは、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぐ。この時に、またぞろ色々な神を産むのだけれど、最後に最も貴重な三貴神と言われる神を産むことになる。誰でも一度は耳にしたことがあるだろう、アマテラスツキヨミスサノヲである。

 他には住吉三神も産まれたとされる。航海の神だ。何故この時に?の疑問も湧いてしまうわね。

ただ、これらの話は古事記のみに描かれており日本書紀には描かれていない。
 ・・・
しかしだ、この「」は話の筋としてはかなり効いている。これまでの過去はチャラになるってことだ。産まれたと言っているが違う。生まれ変わったのだ。禊ぐことで命は一新し再生した。以前の私じゃない、以前の俺じゃない、新生アマテラスであり、新生ツキヨミであり、新生スサノヲってことの証。

 岩戸隠れは卑弥呼の死、そしてアマテラスの変節

卑弥呼の死で、もう一つ記紀に描かれた有名な逸話が思いだされるはず。そう、あの「岩戸隠れ」である。「岩戸隠れ」とはアマテラスがスサノヲの素業の悪さに岩戸の中に隠れたと言う逸話だが、この話の顛末も卑弥呼の死に対処し損ないダメ出しされた男弟の話に思えてならないのは私だけだろうか。

 「岩戸隠れ」が、日食だとか火山の噴火だとかでも良いんだけれど、それじゃまるで御伽噺に過ぎる。
 まぁ、劇をやるなら卑弥呼の亡骸の背後で日食が起きるとか火山が爆発するとかは演出性バツグンに違いないだろう。


そして何故だかこの「岩戸隠れを境にアマテラスの性格が変化してしまっていることに気付く。実に大人しくなるのだ。ほとんど表に顔を出さなくなる。まるで人が変わったように。つまり、アマテラスは「岩戸隠れの前後で卑弥呼から壱与に代替わりしたと言ってよい。卑弥呼は死んだのだ。

 イザナギとスサノヲの正体

ちょっとくどい位に男弟を貶してきたが、私の比定するイザナギスサノヲについて今一度古事記に描かれている逸話を抜き出しておこう。

 以下、古事記記述の時系列順である。
  ・・・
 ● イザナギは死んだイザナミに追われることになるが、無事に逃げおおせて禊。三貴神を産む。
 ● スサノヲの粗暴さは目に余るほどでアマテラスとの間で誓約。一度は身の潔白を証明する。
 ● しかしながらスサノヲの素業の悪さは治らず、アマテラスは天岩戸に隠れてしまう。
 ● スサノヲは高天原の一大事となったこの天岩戸の責任を問われ、ついに高天原を追放に。


どうみても古事記に描かれたイザナギとスサノヲは尋常ではない。

 イザナギに関しては情けなさは感じるもののまだ心情的に寄り添えるのだが、スサノヲはいただけないなぁ。

改めて書き出してみたが、見れば見るほど男弟の姿が浮かんでくる。言うまでもなく、切っ掛けは卑弥呼の死とみて間違いない。
 ・・・
古事記ではイザナギとスサノヲとして分割し2柱の間で時が経過したように描いてはいるが、これら4つの逸話は全て卑弥呼の死により生まれた邪馬壱国に起きた一連の惨状であろう。

 ・・・・・・

ところで、高天原を追放され根の国(出雲)に移り住んでからのスサノヲは人が変わったような聖人君子として描かれている。実はこのスサノヲが真のスサノヲの姿であることは想像に難くない。出雲の王である。
 ・・・
後に出雲から高天原へと国譲りが行われるのだが、そもそもスサノヲは高天原の出なんだぞという大仰な仕掛けを記紀はここに潜ませている。


  


Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(1) | Go exploring / 晴耕雨考

 




島津荘水流百景-012 / 都城~(境界)~三股

2017年08月06日


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



    ● ● ●


    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : これ、姫城川の源流?


これまで度々触れてきた何とも不思議な「姫城川」と「柳河原川」の始点について。

 ※このことについては、以下の記事で触れてきた。
   ● 2017/03/24 : 島津荘水流百景-005 / 都城東公園
   ● 2017/04/14 : 島津荘水流百景-008 / 一万城町


一般的に川の始まる処は山あいの草の茂る岩の窪みなどからチョロチョロと水が流れ出し、
それを「源流」などと呼べば如何にも!な風情なんだけど、さて上の写真を見て如何でしょう?

一応、向こうからも振り返って見てみよう。


    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 姫城川の源流の真上に立つ?


今、私は姫城川の源流の真上に立っているわけだけれど、いやはや何ともここは道路なのだ。
 ・・・
その?の説明には、上記の 2017/03/24 : 島津荘水流百景-005 / 都城東公園 で載せた地図が最適だ。
何のことを言っているか判らぬ人も多かろうから、ここに再掲しておきたい。

   この機会に、姫城川の変遷を航空写真で確認してみようと思い立つ。
   簡単に入手できる 1974年(国土地理院)の写真を現在のそれ(goo地図)を見比べてみたい。

   
   ※クリックで拡大 「 1540*2370 」 ※上から ●現在・地図 ●現在・航空写真 ●1974・航空写真

   ご自分で検証したい方はこちらのリンクを。
   ● 国土地理院 はこちら - 左上「情報」クリックして、「空中写真:1974~1978」を選択
   ● goo地図 はこちら - 左上で「地図」「航空」等を選択

    ・・・・・・

   姫城川の改修工事が始まってすぐの1974年の航空写真がなかなか面白い。
    ・・・
   現在の若葉町に当たる範囲では、元々の曲がりくねった川の姿がまだ残っている様子が見て取れる。
   一万城町の範囲は既に改修されたらしく既に現在の姿がそこにあるようだが、
   一本北を流れる柳川原川はまだ昔の姿を残しており、また当然ながら姫城川への放水路も見当たらない。

   ※2017/03/24 : 島津荘水流百景-005 / 都城東公園 から引用

この地図を見てもらうと一目瞭然だが、いきなり2つの川が出現している。
上が「柳河原川」で下が「姫城川」なのだが、三股町から都城市に入った地点で突如姿を現す。

   1974 年の時点で、既にその形態なのも判るはずだ。

一つ前の記事に書いた大垣の水門川だが、元々が堀だったという。
シラス台地に生まれる川も狭く深くシラスを削って行く。形状はまるで堀と言ってよい。それは現在の「姫城川」と「柳河原川」の姿形状を見れば頷けるはずだ。

   下刻(かこく)と言うのだそうだ。 ● 下刻作用(かこくさよう)とは - コトバンク

それなのにである、「姫城川」と「柳河原川」は一歩三股町に入った処で眼の前から姿が消える。
 ・・・
写真を見ての通り、川は突然に「堀」で始まっている。そしてその「堀」の横っ面から土管が何本か突き出ているのを知るが、その先の三股町では一面拡がる農地を見渡すしかない。

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 ・・・・・・

この三股町に於ける「姫城川」と「柳河原川」の有り様はどう理解すればよいのだろうか?
 ・・・
思うに、水管だけ埋設し元々あった川を埋め戻し平坦な一面の農地を造ったのではと推測するしかない。
しかし大雨時の増水での被害を見てしまうと、今のままでの治水法では如何ともしがたい気がする。
この眼で見た、大雨で流された土砂が川中に堆積し、その上草木がぼうぼうの放置状態だったあの「姫城川」の無様な姿が思い出されて仕方がない。

   景の醜さだけではない。水の流れが阻害されるのが問題なのだ。

結節点にワンクッション、丘陵地開発等で設ける貯水池のような設えでもあればとは思うけれど、
今となっては「◎△$♪×¥●&%#?!&%#▲」ってことだろう。
 ・・・
そしてまた、何故に川の姿、治水への対処法がここまで明確に違うのか、違ったのかという疑問も生まれるのだが、資料なり詳しい人となりとこのところ調べて廻るもも未だ成果なしである。そういうわけなので、しっかり調べ終えることが出来た暁にはエヘヘヘヘ、ヤッタゼと嬉々として報告したい。

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そうそう、こちらが柳河原川の源流?である。 残念なことに、こちらも色気も何にもない。


    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : こちらは、柳河原川の源流?


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  ※ 柳河原川の場所は、ここから北に600m程のエル、ミドリ薬局の横。


  

Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景

 




水流百景・番外編002 / 大垣

2017年07月18日


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



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街中に大きさや形状の似た川が流れている都市ってなかったかなぁ?で思い出したのが、大垣だ。
 ・・・
大垣市は人口16万人弱(H29,5月)ながら、関西と東海の結節点に位置する西濃の中核都市である。
それ故、大垣駅の平均乗車人員は 17,000人(日,H25)と相応に人の往来も多い。

   そう言えば、大垣から名古屋に通勤していた友人だけでも4・5人の顔は思い出せる。
   ・・・
   ちなみに、都城市は人口16万3千人(H29,5月)と大垣市よりも僅かではあるが人は多いものの、
   都城駅の平均乗車人員は 1,094人(日,H25)、西都城駅に至っては470人(同)と駅・鉄道の存在は隔世の感。


地の利、不利があるのは明らかなのだが、ここまでの格差を目にすると言葉がない。
実際に駅中での人の往来には昔日の都城の風景も去来し郷愁を覚えずにはいられなかった。

 ・・・・・・

ところで、大垣は 「水の都」 として知られている。湧き水が豊富なのである。

   大垣に限らず、岐阜は水の豊かな地である。

街中をクランクしながら流れる 「水門川」 はそもそも大垣城築城に併せて作られた外堀、且つ運河。
 ・・・
都城の街中河川はシラス台地という自然の歴史的背景の結果として堀形状となったと考えられるが、
人工的に作られた堀の形状、スケールに似ていることはつくづく面白い。
日本各地にある堀には、都城の河川景観への大きなヒントが隠されているのではないか!と確信する。

 ・・・・・・

日常に観光客が押し寄せる、なんてことは無いように感じられるけれども、
桜の季節やイベントの時期、或いは芭蕉・奥の細道ファンの人などにはお薦めの散策道だ。

   ● 大垣市HP > 水門川遊歩道「四季の路」
   ● 大垣・西美濃観光ポータル:水都旅 > 観光コース・マップ > 大垣市街地エリア
   ● 同上 > 観光パンフレット


   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   


また、この 「水門川」 で特筆すべきは川中に途切れることなく水草 「セキショウモ」 がなびいている水景。実に清らかで心も洗われ、気分がいい。

   ● 超水草図鑑 > テープ状水草 > セキショウモ
   ● 水面にも錦秋、大垣のたらい舟 水門川で見ごろ - 中部地方整備局(pdf ファイル)


   ● ● ● 


   
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Posted by Kashiwa★da at 17:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景

 




水流百景・番外編001 / 醒ヶ井(米原)

2017年06月16日


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



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思っている以上に、日本のあちらこちらに水のきれいな地が数多あって驚いてしまうのだけれど、
観光気分半分、参考地勉強半分でそういった場所を訪れてみることはなかなかに楽しいものだ。

 ・・・・・・

さて、ここは琵琶湖の東北に位置する米原からちょっと内に入った処にある 「醒ヶ井」 だ。
訪れてみると実に小さな集落である。しかし凡そ 1km 程の地蔵川の清流に心を癒されること確実である。

流レの中に咲く花 「梅花藻」 で有名なのだが、私が訪れたGW中はまだ時期が早すぎたようだ。
見頃は今から8月一杯のようだから、自分の眼で見たい人はこの夏あたりどうだろうか。

   ● 滋賀県観光情報観光 > パンフレット > 醒井湧くわく街道図 (pdf)
    ・・・
   ● 滋賀県観光情報 > スポット > 地蔵川(梅花藻)
   ● 滋賀県観光情報 > イベント > 梅花藻(ばいかも)ライトアップ


   
   
   
   
   
   
   
   
   
   ※ 170505 撮影 : 醒ヶ井・地蔵川


なぜこんなにも澄んだ流れなんだろうか?
実は集落内の加茂神社の袂にある 「居醒の清水」 から湧水なのだ。
 ・・・
とは言え、川沿いに立ち並ぶ家々を直に見ると人々の努力をひしひしと感じる。
景観や環境の美しさは人あってのものであることを痛感するのはこういう時だ。

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 ・・・・・・

ここは小さな集落だけれど、例えば相応の市街地の中にこの 「地蔵川」 が出現したらどうなるだろう。
 ・・・
これぞオアシス。水の力。のんびり、ゆったり、コーヒーを飲みたくなったのは私だけだろうか?


   ● ● ● 


   
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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景

 

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