島津荘水流百景-014 / 早水公園
2017年10月22日
- 都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
- 私はそんな想いが日に日に増しています。
-
- その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
- ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
-
- ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
- ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。
● ● ●


※クリックで拡大 「 800*1200 (冒頭一枚目は 800*800)」 : ここが早水湧水の場所とのこと
※以下、全ての写真はクリックで拡大 「 800*1200 」
現在、早水公園として整備されているこの地、話は5世紀初頭の頃、応神天皇がその美貌を耳にし召し抱えようとしたところ、後に仁徳天皇となる皇太子が一目惚れしてしまい自分の妃に迎えるに至ったという髪長姫の生まれた処になる。
現在は大仙陵古墳と言う様になっているけれど、一昔までは仁徳天皇陵で有名なあの仁徳天皇。
日本で一番、と言うより世界で一番でっかいお墓だ。古墳の長さがなんと486m、高さは後円部で35.8m。
その髪長姫が産湯をつかった湧水が上記の写真の場所である。
1枚目に写る看板の左下、2枚目は裏に回りこんで右下に見えているのが、湧水場所らしい。
・・・
前回記事の「013 / 祓川(はらいがわ)湧水」と比べてしまうと、正直ちょっと残念な感じは否めない。
飲料禁止かつ水量の少なさも残念だったが、都城で他にないせっかくの場所なのに「景」が何とももったいない。
せめて那智勝浦の「ぶつぶつ川」ぐらいの体裁があればなぁ、との思いも。 ● Google 画像検索 - ぶつぶつ川






公園を二分するように幹線道路が走る車道優先の整備には戸惑うが、ここまでが公園の東半分だ。
・・・
赤い太鼓橋の掛かる池が「髪長姫池」(2枚)、ジグザグの渡りのある池が「鷹取池」(2枚)、その下、同じくジグザグ渡りのある「釣鐘池」(2枚)になる。
公園の案内マップがあるので、市の公式ページを記しておこう。案内マップには池名も記載してある。
● 早水公園 - 都城市ポータルサイト - 都城市公式ホームページ
ところで、1974年の早水公園はどんな風だったか、やはり興味が湧いてくる。周囲はまだまだ田畑が多く拡がる様子だが、既に道路で真っ二つな様子。おそらくは、高度成長に突き進んでいたこの70年代半ばに於いて、一つの公園として纏めようなどという発想は露ほども無かったのだろうと推測できる。現在の道路拡幅も40年経って今更ということなのだろうか。

※クリックで拡大 「 1200*1000」 : 1974 航空写真で見る早水公園
では、これから下が公園西側になる。道路を横断し、まずは「御園池」から。
5月はゴールデンウィーク辺りで、青空に紫に咲き誇るあやめの季節ではないのが申し訳ないけれど。






池中に東屋が設けてあるのが「御園池」(2枚)、せせらぎ庭園風に造園してあるのが「茜川」(1枚)、橋が架かり池の周りに遊歩道が設えて得るのが「紫の池」(3枚)になる。
・・・
公園内には体育館もあり、また立派な新設の弓道場なども整備中である。歩いてみると、それなりの広さがあることが判り、そして思ったのだ。 「ん?熊本の水前寺公園とか金沢の兼六園ってどのくらいの広さだったかな?似たようなもんじゃないのか?」と。
で、帰って早々に地図で拾ってみた。

※クリックで拡大 「 1460*2590 」 : 早水公園 と 水前寺公園 と 兼六園
ほら、広さ的には十分張り合えるようなぁ。そりゃ到底イニシャルもランニングも金掛けた日本庭園なんか望んではいないけれど、散歩に最高な一筆書き周遊遊歩道と包み込むような植栽があるなら、天下の庭園たちにも負けないんじゃないかなぁ。無理かなぁ。
● ● ●
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島津荘水流百景-018 / 長田峡
島津荘水流百景-017 / 甲斐元町
島津荘水流百景-016 / 上川東
島津荘水流百景-015 / 祝吉(郡元町)
島津荘水流百景-013 / 祓川(はらいがわ)湧水
島津荘水流百景-012 / 都城~(境界)~三股
Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0)
| Photo / 島津荘水流百景
- 都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
- 私はそんな想いが日に日に増しています。
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- その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
- ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
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- ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
- ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。
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※クリックで拡大 「 800*1200 (冒頭一枚目は 800*800)」 : ここが早水湧水の場所とのこと
※以下、全ての写真はクリックで拡大 「 800*1200 」
現在、早水公園として整備されているこの地、話は5世紀初頭の頃、応神天皇がその美貌を耳にし召し抱えようとしたところ、後に仁徳天皇となる皇太子が一目惚れしてしまい自分の妃に迎えるに至ったという髪長姫の生まれた処になる。
現在は大仙陵古墳と言う様になっているけれど、一昔までは仁徳天皇陵で有名なあの仁徳天皇。
日本で一番、と言うより世界で一番でっかいお墓だ。古墳の長さがなんと486m、高さは後円部で35.8m。
その髪長姫が産湯をつかった湧水が上記の写真の場所である。
1枚目に写る看板の左下、2枚目は裏に回りこんで右下に見えているのが、湧水場所らしい。
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前回記事の「013 / 祓川(はらいがわ)湧水」と比べてしまうと、正直ちょっと残念な感じは否めない。
飲料禁止かつ水量の少なさも残念だったが、都城で他にないせっかくの場所なのに「景」が何とももったいない。
せめて那智勝浦の「ぶつぶつ川」ぐらいの体裁があればなぁ、との思いも。 ● Google 画像検索 - ぶつぶつ川






公園を二分するように幹線道路が走る車道優先の整備には戸惑うが、ここまでが公園の東半分だ。
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赤い太鼓橋の掛かる池が「髪長姫池」(2枚)、ジグザグの渡りのある池が「鷹取池」(2枚)、その下、同じくジグザグ渡りのある「釣鐘池」(2枚)になる。
公園の案内マップがあるので、市の公式ページを記しておこう。案内マップには池名も記載してある。
● 早水公園 - 都城市ポータルサイト - 都城市公式ホームページ
ところで、1974年の早水公園はどんな風だったか、やはり興味が湧いてくる。周囲はまだまだ田畑が多く拡がる様子だが、既に道路で真っ二つな様子。おそらくは、高度成長に突き進んでいたこの70年代半ばに於いて、一つの公園として纏めようなどという発想は露ほども無かったのだろうと推測できる。現在の道路拡幅も40年経って今更ということなのだろうか。

※クリックで拡大 「 1200*1000」 : 1974 航空写真で見る早水公園
では、これから下が公園西側になる。道路を横断し、まずは「御園池」から。
5月はゴールデンウィーク辺りで、青空に紫に咲き誇るあやめの季節ではないのが申し訳ないけれど。






池中に東屋が設けてあるのが「御園池」(2枚)、せせらぎ庭園風に造園してあるのが「茜川」(1枚)、橋が架かり池の周りに遊歩道が設えて得るのが「紫の池」(3枚)になる。
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公園内には体育館もあり、また立派な新設の弓道場なども整備中である。歩いてみると、それなりの広さがあることが判り、そして思ったのだ。 「ん?熊本の水前寺公園とか金沢の兼六園ってどのくらいの広さだったかな?似たようなもんじゃないのか?」と。
で、帰って早々に地図で拾ってみた。

※クリックで拡大 「 1460*2590 」 : 早水公園 と 水前寺公園 と 兼六園
ほら、広さ的には十分張り合えるようなぁ。そりゃ到底イニシャルもランニングも金掛けた日本庭園なんか望んではいないけれど、散歩に最高な一筆書き周遊遊歩道と包み込むような植栽があるなら、天下の庭園たちにも負けないんじゃないかなぁ。無理かなぁ。
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