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2017年05月19日

島津荘水流百景-010 / 神柱公園1


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



 ● ● ●


 
 ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 公園と年見川を繋ぐ階段と河岸の平場。


市の中心部に鎮座する神柱宮の膝元にあり、市民の利用も多い公園である。

   子供の頃は公園西側にある池で貸ボートが漕げたが、今はその面影はない。

神柱宮は明治6年にこの場所に移されたと言うが、
公園自体は昭和10年の地図にはまだ影も形もない処をみると、設置はずっと後のようだ。
 ・・・
もともと都市内緑地公園というよりグラウンド公園の性格が強く、今は催事利用も多いようだ。
また北に総合文化センターが隣接して作られたので、利用形態も多種多様なことが伺われる。


   
   ※クリックで拡大 「 700*960 」 ©国土地理院&©goo地図 : もちろん1974年には既に公園がある。


昔のボートの代わりでもなかろうが、公園内を横切る年見川が親水空間として整備されている。

 ● 年見川プロムナード整備事業(宮崎県) - 九州地方計画協会

私は都城を長い間離れていたので全く知らなかったが、平成14年度完成とのことである。
既に15年近くも経っていることになる。

   もう市民には目新しさなんてどっかに行っちゃってるんだろうか。
   ウキウキと写真なんぞ撮っているのは私ぐらいのもんかもしれない!(笑)


以前に触れた 「 都城東公園 」 をはじめ、市内河川の維持管理が半ば放置状態で堪らなく残念だが、
さすがに公園と接しているこの親水護岸は日々の手入れがされているようでちょっと救われる。


 
 ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 南側の公園に作られている河岸階段から。


ここの面白さは両岸整備ですり鉢型にぎゅっと空間を閉じ、ここだけの気配を創ったことにある。
なのに、ここには両岸を結ぶ飛び石がない。行き来ができれば、水ともより親しめるはずだ。
 ・・・
それは川上に施されたちょっと仕掛けに気付いた時に確信になった。いや実にに勿体無い。
そのちょっとした仕掛けというのが、この落差工。


 
 ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 川上に設けられている落差工。


本来機能工学的に施工されるものだろうが、こうやって公園内に設けられると親しみが増すことが判る。
 ・・・
ちっちゃな滝だけど、見れば見るほどこの親水空間のアイストップ的な存在とも言える。
例えば流れ落ちる水の後ろからライトアップでもされていれば、公園に夜の魅力も加わる。

その光る滝を、川の中心に立って正面から見てみたい。


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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景
 



2017年04月21日

島津荘水流百景-009 / 八幡町


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



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     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 暗渠になっても植生は水際っぽい


前回記事で、町中では見なくなった道際の水路が一万城町ではまだ残っていた旨を記した。
今回は、その町中で殆ど消えてしまった水路の痕跡として八幡町を取り上げたい。

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さて冒頭前文にも記した 「 幕末の道 」 に、江戸期都城の幹線路だった 「 高岡筋往還 」 がある。

   ・今の中央通り ~ 広口から西駅方面へ(ゆずり葉通) ~ 南に曲がり西町方面へ
   ・言換えると、国道10号~(広口)~県道31号


その中で現在の道路状況と最も異なり注意を要するのが、八幡町を南北に走る道だ。
今の幹線である県道31号より一本西の鉄道寄りを走る道になる。

   この道が都城の幹線だったとは全く知る由もなかったし、またこれまで想像さえもしなかった。
   県道31号の陰に隠れてしまったからだが、おそらく殆どの市民も知らないのではないか。
   それほどちょっと取り残された一角のように思われる。


すっかり寂れた様子が悲しいが、道際に暗渠化された水路が走っていることが判る。
おそらく江戸期に幹線であったこの道にはサラサラと水の流れが沿っていたことだろう。
 ・・・
水の流れと緑に溢れていたであろう道を想像するのは楽しい。


    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 旧高岡筋往還に残る水路は道沿いずっと暗渠に


町中の至る処が区画整理された都城にあって、昔から残るこのような道は貴重な存在だ。

   或る意味、陰に隠れてしまったことが幸いに転ずるかもしれない。

暗渠にされた水路が古の姿を取り戻し、歩行者に優しい道として生き返ることは難しいだろうか?
すぐそこには西駅。その西駅前広場から八幡西交差点までは350m、丁度よい具合の距離だ。

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元々は都城の幹線だった道であり、数少ない生残りの道でもある。
再生されるべきはこのような道だろう。もちろん、水の流れとそこに寄り添う緑と共に。


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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景
 



2017年04月14日

島津荘水流百景-008 / 一万城町


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



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     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 柳河原川に注ぎ込む別の流れ


不思議なことに姫城川も柳河原川も三股では姿が見えず、都城に入ると突如として川が出現する。
これはいったいどういうことなのだろう? 今のところ、全くお手上げだ。

   ググってもさっぱり不明だし、1974年航空写真も確認してみたが、やはり同様で三股に川の姿はない。
   どちらもいきなり数mの堀で川が始まっているので、三股の地表下に水の流れがあるのは確実だが。
    ・・・
   尚、年見川については地図上でも三股樺山まで流れを遡れる。


下司の勘繰りだけれど、日常の水量の少なさはこの辺りに理由がありそうだ。

   都城の市街地三川の日常水量の少なさについては、これまでの記事内で何度か触れている。

ところが、姫城川の醜い惨状に比べ、柳河原川の見せる光景はそれほどでもない。
私にはこれも不思議ポイントの一つであったが、一万城まで歩いてみて納得した。

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都城に入って川が姿を現す地点での水量は双方の川共にチョロチョロで左程変わらないのだが、
柳河原川では途中でかなりの量の水が流れ込んでいるポイントを見つけたのである。
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上の写真がそれ。

   つまり、柳河原川はここでそこそこの水量を確保していたということなのかな。
   それでも、ここまでも姫城川ほど汚いという印象はなかった。これも不思議と言えば不思議。


また、この水流の元を辿っていくと、三股から繋がる流れであるようだ。


 
 ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 道際の流れは、昔はあちこちで見られた。


昔は町中にこのような水路をよく見たものだが、いつの間にか暗渠なり取り壊されたりで姿を消した。
一万城でまだこの様に残っているのを見つけて懐かしくもあり、嬉しくもある。

   ここでも半分近くは暗渠化されていたけれど。

できれば水際に緑が欲しい処ではあるけれど、そこまでは欲張りか。そうだよな、欲張りだよなぁ。


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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景
 



2017年04月07日

島津荘水流百景-007 / 菖蒲原町 - 年見町


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



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     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : 南側には一面の菜の花


前々回の 「005:都城東公園」 で、河岸に菜の花が咲き誇っていたと聞いた話を書いたのだが、
そんな豪雨被害前までの姫城川ってずっとどんな様子だったのだろうと気になっていた。

   残念なことに、今の姫城川は下流に行くにしたがってドブ川と化し、そんな面影はどこにも無かった。

意図せずして、その 「 河岸の菜の花 」 を眼にしたのは、冒頭写真に写る年見川でのこと。
以前の姫城川の菜の花も、おそらくだがこの写真の風景に近いのではないかと推測する。

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不思議なのは、川岸南面だけに菜の花が咲き誇っており、北面は左程でないこと。
これは菜の花の特性なのか、それとも洪水でたまたま北面が荒らされただけなのか、私には?だ。


    
     ※クリックで拡大 「 800*1200 」 : ここも南側には一面の菜の花、北側もそこそこ


でも姫城川の惨状を見た後だもの、この年見川の風景にホッと安堵したのは事実。
都城の市街地を流れる三つの川が、また再びこのような景観を取り戻してくれますように。

   市街地三川は、年見川(としみ がわ)・柳河原川(やなぎがわら がわ)・姫城川(ひめぎ がわ)。
    ・・・
   ちなみに、これまでの記事で
   001 / 花繰町・002 / 中原町・003 / 妻ヶ丘町 は柳河原川、004 / 早鈴町・005 / 都城東公園 は姫城川に当る。


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ただ、菜の花で飾られるのは春だけのこと。
あちこちで見られる堆積土砂とそこに覆い被さる枯草のなすがままっぷりは褒められたもんじゃない。
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と、できれば水に親しめる河岸環境には程遠いなぁと痛感していた処で出会ったのが・・・


 
 ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 向こう岸は荒れっぱなしだが、手前河原は緑:リュウノヒゲ?の平場


川面まで降りられる平場が、リュウノヒゲだろうか下草で綺麗に整えられている。

   ここだけが綺麗な状態で枯草で覆われずに姿が見えていたのだが、人の手が入っているのだろうか?

リュウノヒゲは、都市部で定期的に人の手が入る親水に配慮した川の土手などでよく眼にする。
 ・・・
やはり緑が欠かせないと痛感するのは、こういう 「 そうそうこれこれ 」 な景を見た時だ。
もしかして、これまで見てきた耕作放棄地みたいな枯草の下にもリュウノヒゲが拡がっていたのだろうか。

と思うと今の荒廃ぶりは余計に悲しいけれど、ここだけにしろ希望を発見出来たことに一筋の光を貰う。

こうでなきゃ、「 そうそうこれこれ 」 である。


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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景
 



2017年03月31日

島津荘水流百景-006 / 下長飯町


     -  都城盆地、葉脈の如き数多くの水の流れでこの地の景が作られていたのではないか。
     -  私はそんな想いが日に日に増しています。
     -  
     -  その想いに至った理由については簡単ではあるけれど次の記事に記したので、宜しければどうぞ。
     -  ● <休憩一服> 都城の「幕末の道」を今の地図に落してみた
     -  
     -  ということで、都城を離れて数十年、時を失した感もありますが、
     -  ここ都城(島津荘)の街中で見られる水流の景色を少しづつでも記憶していきたいと思います。



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 ※クリックで拡大 「 1200*800 」


これは前回記事で触れた平成22年豪雨の爪痕だろうか。萩原川での一景。

   遠方左手に 「 霧島:高千穂の峰 」 の姿が見えている。手前にさえぎる物などなく、である。
   この風景からでも、この盆地が如何に平べったい地勢かを窺い知ることができよう。


瓦礫や丸太クラスの流木はないものの、枝木や葦等はどう見てもどこからか流れて来た体である。
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私が小学生時代には川幅いっぱいに水が流れていた萩原川も、
確か'70年代に入り護岸改修された後は見る見る内に水量が減り、川幅が狭くなったと記憶する。
それに伴い、葦などの草木に覆われた土地が出現し、そこに漂着物が溜まるという循環に思える。

   南小にまだプールがなかった頃は1km南の萩原川がプール代りであった。
   今から思えばそれほど水が綺麗だった印象もなくてよくもまぁだが、川幅一杯の水あってこそではある。
    ・・・
   ここに 1974年の航空写真があるが、既に川幅がかなり狭くなっている。これでは泳げない。

   
   ※クリックで拡大 「 1540*1460 」 ※上 ●現在・地図 下●1974・航空写真

   ご自分で検証したい方はこちらのリンクで。
   ● 国土地理院 はこちら - 左上「情報」クリックして、「空中写真:1974~1978」を選択



更に1974年の写真を見てもらえば、在りし日の 「 高木原用水路 」 を確認できる。
萩原川の上をコの字型 ( もちろん上が空いている ) のコンクリート橋が跨いでいた。写真から判るだろうか。
 ・・・
今は洪水時の排水路として姫城川名となり、萩原川に合流する形に再生されたようである。
写真ではのどかな河原が拡がって親しみやすそうなのだが、下りて行けるかというと、できない。

   まぁ 「 ここで遊んではいけません 」 の立札もあるくらいだから辻褄はあっているのだけれど、甚だ残念だ。 

 
 ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 合流地点。右が萩原川、左が姫城川になる。

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そんな中、河岸の一部にコンクリートで平場が作られている処があった。
引っかかりがないぶん漂流物も留まれなかったのか、ここには下りて行けるのが嬉しい。
 ・・・
最後に、最も川に近づくことのできたその写真をあげておきたい。

写真では現実より美化し過ぎの感が無きにしも非ずだが、これが萩原川だ!(笑)


 
 ※クリックで拡大 「 1200*800 」 : 上長飯町側から若葉町を見る


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Posted by Kashiwa★da at 16:00 | Comments(0) | Photo / 島津荘水流百景