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★ 「 街に人の流れを 」 : 都城のまちづくりを思考する私論ブログ
ja
Thu, 18 Jul 2013 09:00:00 +0900
Sun, 29 Apr 2018 10:02:09 +0900
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Kashiwa★da
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2-12 「路地空間」を創出したSC、喪失した商店街 no弐
no壱では、土地の効率化偏重によって旧来商店街が 「路地空間」 を喪失してしまったことを述べました。
○ 2-11 「路地空間」を創出したSC、喪失した商店街 no壱
・・・・・・
・・・・・・
さて、人がいなくなってしまった日本の地方都市の中心市街地を考える時に、
その 「路地空間」 の構造的な要素を押えておくことも無駄ではないと思います。
・・・
私なりの視点は次の3点です。
その1 ● 「路地空間」 の心地よさ を探れば、その 「ヒューマンスケール」 こそが鍵です。
くどくどと説明するのも野暮。最適の説明図を芦原義信氏の著作から拾い出してみます。
クリックで拡大:1500*1030pxl
人は 心地よいと感じるテリトリースペースがある ことが知られていますし、
広大な空間にポツンと置かれるよりも 包まれている空間に安らぎを得る ことも知られています。
・・・
「 車 」 は、装置として人を包み込むという特徴を有していることで私たちにその自覚を促してくれますが、
街空間での存在においては、そこで人のテリトリースペースの観念は消滅しています。
もはや、知ったこっちゃない。関係ねぇだろなのですね。
- 「 車 」 に合わせた街空間の無常さはそこにあります。
- 「 車 」 が及ぼすスペースへの関与はただ物理的な規定優先の設計がなされているだけです。
- ・・・
- 私が初めてコルビュジェの輝く都市の画を見た時に嫌悪感を抱いたのは正しくそれが理由でした。
- ○ Google 画像検索 - コルビュジェ 輝く都市
「 人 」 は 「 車 」 から街を取り戻さなければなりません。
・・・
その2 ● 相対しつつも共生関係 にある 「 路地 ⇔ 建物群 」 の構造 (構成関係 )です。
これは 「図と地」 の関係と言い換えても差し支えないでしょう。
- この関係は日本人にはわかりやすいと思います。
- ・・・
- 日本画における 「図と地」 の構造(構成関係)を思い起こしてください。
- 図(建物)と地(路)に主従の関係はありません。一方がなくなれば他方もなくなってしまう関係です。
再び、上で紹介した芦原氏著作から拾い出してみます。
クリックで拡大:1500*1030pxl
- 「図と地」 で検索を掛けるとこの図がやたらと出てきます。笑いました。
ヨーロッパの街に建つ建物は壁一枚を隔てるだけで 「 屋外⇔屋内 」 が造られている、の説明です。
- 一方に架けられている屋根を他方へ移し変えれば直ぐに立場が逆転する、の画が別ページにあります。
片や、日本は敷地の周辺を残した形で建物を建てるために上記の関係が成立しない、の図です。
路と敷地を隔てているものは、塀です。
- 日本建築は庭、または玄関に至る前庭を欲したと言えるかもしれません。
ただし日本でも町家等で造られた街はヨーロッパのそれと同様なことは頭に入れておいて下さい。
・・・
「 屋外⇔屋内 」 を形作るこの 一本の線の境界域に 「 人 」 が棲息できていたのが商店街 でした。
・・・
その3 ● 歯抜けを回避 する 「 建物の連続性 」 への意識。
- その2の延長線にあるともいえますが、日本の現状を見る限り一要素として捉えたいと思えるので。
次の写真に写る街並みを見てください。
クリックで拡大:1500*1030pxl
祇園石段下とあります。明治初期の京都は八坂神社から四条通を眺めた写真ですね。
- 現在の様子はこちらで。 ○ Google 画像検索 - 八坂神社 四条通
現在の街はポツポツと更地化していっても道路境界の線が地面に打たれていますから、
不自然ながらも一見 「 路地 ⇔ 建物群 」 の関係は保たれてしまいます。
・・・
然しながら、本来あるべき姿は歯抜けなく建物が連続していることで路はその形を担保されるものなのです。
即ち、街の 「 図と地 」 は連続する建物群によって成立していたと言えます。
- 上の四条通の情景はそのことを如実に物語っています。
130~40年前の写真を見て、改めて 「 連続する図 」 が 「 地 」 を創造 していたことに気付きます。
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またまた長くなりそうなので、続きは no参 に廻すことにします。
・・・
記事中に出した本は以下に記しておきますので興味ある方はどうぞ。
街並みの美学 (岩波現代文庫)芦原 義信
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Analysis / 現状考察
Thu, 18 Jul 2013 09:00:00 +0900
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2-11 「路地空間」を創出したSC、喪失した商店街 no壱
大手スーパーの店舗と言えども、 80年代までは商店街の一画に出店されるものでした。
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しかしながら、時代がバブルとなり始めた頃から出店場所並びに店舗形態に変化が訪れます。車社会が加速 していました。それにつれて、SCもその施設形態を変容させていくことは既に必定でした。
- アメリカで誕生しだした新形態 SC(Shopping Center)、アメリカをお手本に再びお勉強です。
- 巨大モール化SC、倉庫型SC,更にはパワーセンターetc
- ・・・
- 倉庫型SCは日本に根付きませんでしたが、モール化SCやパワーセンター はその後の本流となります。
また、偶然か必然かは論を譲るとして、時を一にして 商売の形が徐々に 「床貸し」 へと移行 していきます。
特に百貨店の変化は顕著でしたが、全フロア 「床貸し」 の大型商業店舗も増えていきました。
- 街中の大型商業施設の多くは、区画整理や小中学校の廃校跡地事業等での再開発事業によるもの。
駐車場を片手に 郊外に移転し始めたSC や 街中に出現し始めた大型商業施設 において、
それらの 開発企画書 には必ず 「 路地空間の創造 」 の一節が盛り込まれたのです。
- 商業施設のプランニングにおいて、そのコンセプトは言わばお約束でした。
- なぜならば、小さくてもいいから建物の中に 「商店街」 を作りたかったからです。
什器を並べるだけの従来売り場 「通路」 ではなく、一つ一つの店が顔を持てる 「路」 が求められます。
百貨店やSCでも自社販売フロアとテナントフロアでは区画割り・什器配列等が違います。
・・・
’90年代以降に大きく転換していく商業施設を決定付ける要素の一つが、「商店街」 の持つ 「歩き回る心地よさ」 を どうプランニングに反映させるか、だったとも言えます。
- 例えば、名古屋空港 「Centrair : セントレア 」 のショップ・フロア 「ちょうちん横丁」 なんかも、
クリックで、当該 Google検索ページ へ
片や、本来の 「商店街」 は、店が一店一店と閉じる毎に「店」だけではなく 「路」をも喪失 していきます。
- 求められて作られた駐車場もが、配慮の無い配置計画によって 「路」 の喪失に拍車を掛けたようです。
- なんとも皮肉な結果です。 「歌を忘れたカナリア」 と言っていいかもしれません。
そうなった経緯には様々な理由が考えられるでしょう。
・・・
一つには既に述べた 「モータリゼーション:車社会」 へ大きく転換した社会構造がありますし、
二つには 「景観保全・創造」 への配慮が希薄 であったことも一因と考えられます。
- 例えば、ワルシャワなどは先の大戦で街の中心部がほとんどを破壊されましたが、
- 以前の街並みを修復すべく戦後の数十年が費やされました。
- ・・・
- どちらが善かは判断が困難ですが、日本とは対局の価値観があることは確かなようです。
ワルシャワ歴史地区 クリックで当該 Google Mapsページ へ
更に、何故それらの気運がこの日本社会に定着したかを問うていけば、
「土地の有効活用」 が最も優先された結果 であると言えるかもしれません。
- 「有効活用」 は、「効率性」 と言い換えればわかりやすいでしょう。
この時、「土地の効率性」 に大きく関与するものが 「法律」 です。
・・・
以前建築物の形を決定するものはその地の材料であると記したかもしれませんが、実はそれだけではなく、
いや都市にあってはそれ以上かもで、行政による法規制や税制の影響が大きいのです。
- 間口税とか開口税とか聞いたことがおありだと思います。
- 間口が広いほど、或いは道に面した開口が大きいほど税金が高かったって言う税制。
- ・・・
- 他にも、例えば石積みの三角お屋根で有名なイタリアのアルベロベッロなんて、
- お役人が来る時に屋根を取っ払って 「ほら、これは家じゃねぇだろ」 ってことであの屋根なのだそうで。
-
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-
- クリックで、当該 Google検索ページ へ
影響を及ぼす法は 「都市計画法」 と、やはり 「建築基準法」 です。
全ての土地(敷地)は都市計画法によって用途地域の指定がされますけれども、
その用途地域による 建蔽率、容積率 の上限設定と共に大きな制約となるものに 斜線制限 があります。
- 道路斜線、隣地斜線、そして住居系地域では北側斜線など。
時代はますます 「土地の効率性」 を求めましたから、
壁面セットバック による緩和、また近年には 天空率 による緩和規定等、基準法改定が継接ぎされています。
・・・
もう 「前面道路の幅員」 の及ぼす斜線制限がどう土地効率に関わってくるか がおわかりになるでしょう。
- 前面道路が広ければ広いほど、より採算のとれる計画を作りやすくなりますし、
- 何よりも法的効率性が担保されれば地価にも反映されることとなるわけです。
果たして、至る所で区画整理が遂行されました。
- いえ、勿論・・・防災等の災害対策とか緊急車両の通行とか雑多な理由はあるんですけどね。
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しかしながら建築基準法による形態操作は 「土地の効率性」 を担保した代わりに、
「街並み」 並びに 「路」 を、更には 「地縁」 までもを破壊 してしまったことを忘れてはなりません。
・・・
また、これが重要ですが、建築基準法による形態操作で満足、納得できる 「街」 を形成できる場所は、
少なくとも県庁所在地規模の都市の中心商業地に限定されるように感じます。
- 中心商業地から外れたら既にアウトです。
- 上で記したような自分勝手に増殖していくだけの雑然とした「街」を作り出します。
況してや、過疎化を心配せねばならない地方都市では 「土地の効率性」 自体が放棄されている状況です。
「都市計画法」 、「建築基準法」 による市街地形成はもちろん無視はしませんけれども、
それだけに頼らない 別軸の価値観を持ち込まなければ 「街」 の再生はありえない と考えます。
くどくどと書いてしまいましたが、ぶっちゃけ・・・
● チマチマと改正を重ねながら 「土地の効率性」 を追い求めてきた
「建築基準法」 なんかに地方都市は踊らされるな!
- 「建築基準法」 で良好な 「中心市街地」 を作れるのは、大都市だけだよ!
ってことです。
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※ 別に書かなくてもいいとは思いましたが、SCの変遷には別の法律も絡んでいます ので追記です。
当時、SCについては 「大店法」 の絡みから形は兎も角、立地や規模への影響が大でした。
その 「大店法」 は時代であっち行きこっち行きと試行錯誤していますが、
その辺はこのブログ内容とは直接関係しないので、簡単にでも知っておきたいと言う人はここらから。
○ まちづくり3法 - Wikipedia
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では、続きは次回に。
件の別軸として思考の 「路地空間」 の構造(構成関係)について具合的に詰められたらなぁと考えています。
http://kashiwada.miyachan.cc/e381099.html
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Analysis / 現状考察
Wed, 26 Jun 2013 09:00:00 +0900
-
2-10「大丸跡地」再考:ロバート・ザイオンを知っていますか?
- おことわり
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- 「 都城まん中が公園 project 」 は、私 Kashiwa★da による個人的思索による街づくり計画案です。
- ・・・
- 文章によるだけの概念的なものでは充分な伝達が困難だと考えますので、
- 現実の都城の地理を利用して、私の欲する 「 都城 」 の将来の街景の絵を紡いでいきたいと思います。
- その為の手法として、規制をせず地図上のあらゆる敷地に勝手なプランを描くこと、
- この時に権利関係、法規関係、金銭関係等は無視してしまうことをお許し願いたいと存じます。
-
- 読んで下さった方で、何か感じ考え思うこと等何でも教えて頂けると助かります。
- ※最終形が決まっている訳ではありません。その都度修正しつつ Version をアップしていく考えです。
各地の地方都市、どこへ出かけて行ってもかつての賑わいを感じることはできません。
帰省時にインターを下りてからの都城の街も同様で、いつもひどく落ち込んでしまいます。
- かつての中央通りの賑わいが目に焼きついているだけに残念で仕方ありません。
- しかしそんな郷愁なんて街の賑わいを取り戻すことには何の力にもならぬことは明らかです。
もう二度と記憶の中にあるあの街を再現することはないでしょうし、そのような試みもおそらく失敗するでしょう。
でも、異なった性格の賑わいを持つ街であれば創り出すことができるかも、なんてことは夢見ます。
・・・
そんなわけで、現在の都城の 街を異なった視点から眺めてみる必要がある だろうと考えたわけです。
怒らないでください。
長い間悶々としてようやく気付いたのは 街の埃っぽさ でした。
- 道路沿線から潤いが消えてしまっているのです。
原因はいろいろと考えられます。
建物が取り壊され更地となった土地やアスファルトで覆われてしまった駐車場、人の気配を亡くした家々。
多用されているブロックやスレートなどのセメント系建材や、更には無人化したが故の長年の汚れ具合。
色彩を失ってしまった灰色の街からは生気も失せましょう。それは道理です。
しかしながら、そのような為す術のない原因を探ったところで私自身まったく面白くありません。
・・・
と、年を追う毎に 街の中から 「 緑 」 が失われてしまっている 現実です。
それは 区画整理された街中心部 であからさまに顕在化しています。
クリックで拡大:2890*1750pxl
- goo地図 をキャプチャして利用、赤丸場所は旧大丸。
- ・・・
- 都城の航空写真を見るには goo地図 が最も実用的。Google は拡大写真なし、Yahoo は斜め見写真。
- 自分で見たい人はこちらへ ○ goo地図 - 都城
個々の家々を見ていくと、区画整理をされていないところには「緑」が残されていることがわかります。
- また遺憾なことに、使えるお金の問題でしょう、大都市ほど街中の緑は豊かなのです。
- 街路樹、分離帯や歩道の植え込み、道路舗装等々絶えず人の手が入りますので当然といえば当然ですが。
ところで私が都城で過したのは’78年が最後でした。街は本当に賑やかで活気に満ちていました。
ええ、本来 賑わいそのものに 「緑」 の存在など必要ない のです。
・・・
が、「そこにあった営みが一つ、二つと抜けていった時はどうする?」 への問題はおざなりです。
そこに新たな営み、店であれば万々歳ですが、が埋まればよいのですがそうはいかないのです。
- シャッター街化した地方都市にあっては過去の残像の延線上にはもはや答がないと考えねばなりません。
- ・・・
- 更には、区画整理をやってしまった地方都市で成功している街がないことは誠に腹立たしい現実です。
- 通過交通車、云わば通り抜けしたい人に恩恵を与えただけのところが多すぎます。
- 街は通り過ぎる車を眺めるための場所ではありません。
別のベクトル志向で街を創り出し、全く新たな街の像で潤い・活気を 勝ち得るべきと提案します。
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御存知の方も多いでしょうが、
今年の年初に市は 「 都城市みどりと景観のまちづくり計画 」 の策定に向け市民の意見を求めていました。
○ 都城市みどりと景観のまちづくり計画(案)に対する意見募集の結果について
- 残念ながら私は市民ではありませんので意見しておりません。
計画内容を拝見した限りでは、都市部での 「 風致地区 」 制度を発展させたもののように見受けられます。
○ 風致地区 - Wikipedia
○ 風致地区ってなに? [不動産売買の法律・制度] All About
大都市では高度成長期より街中の開発は元より周辺地域への過度のスプロール化開発が進みましたから、
残された自然環境を保護しようという気運が高まったわけです。
- その多くは丘陵部です。歩けば 「風致地区」 の看板があるので規制地区であることが一目でわかります。
- ・・・
- 歯痒くも行政的に打てる手立てはこのような条例規制しかないでしょうが、
- 結果的には厳しい規制を掛けられた地区は今や緑に包まれた高級住宅地となっています。
一方地方都市にあっては周囲が自然だらけですから、そういった意識が掛けていたのでしょう。
日本のほとんどの地方都市は都城の現状と何ら変わりません。似たような風景が拡がってしまいました。
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ですが 「 風致地区制度 」 はそのような現状を正面から打破できる制度ではありません。
結局は建築主、開発者、更には住人一人ひとりの意識の持ち様が鍵になるのだと感じます。
例えば小布施の町なんか散策すると、「緑」に対する意識の高さに感服せざるを得ません。
- 私の学生時代には既にまちづくりが動き出していたと記憶します。30年前のことになります。
大きな地図で見る
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ロバート・ザイオン が、ニューヨークの小さな敷地にポケット・パークを設計したのは 1967年 のことでした。
○ Wikipedia - ペイリー・パーク
○ Google 画像検索 - Paley Park
クリックで当該ページを開きます
無味乾燥なコンクリート・ジャングルと揶揄される摩天楼の中にちっぽけながらも 「 潤い 」 がもたらされたわけです。
今となっては珍しくともなんともないコンセプトですが、このペイリー・パークこそはポケットパークの先駆者でした。
- 過去の延長線上志向に囚われていたならば、そこに新しい建物を建てようとしたでしょう。
- その後、この画期的な試みはあらゆる都市で試みられることとなります。
但し、大都市に於いて有効だった手法が地方都市に於いても有効であるとは限りません。
何故ならば、ペイリーパークはその三方を壁で仕切り静謐で閉じた空間を提供することにその真髄があるからです。
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だからと言って、地方都市でこのコンセプトが全く無意味かと言うとそうでもないと考えます。
閉じた空間を 「 開いた空間 」 へと変換 させればどうなるでしょう。
・・・
今、私が咄嗟に思い付く街に グラナダ があります。
- グラナダと聞いてもピンと来ない? 「 アルハンブラ宮殿のある街 」 ではどうでしょう。
- アルハンブラ宮殿は街の東にある丘陵部に建っています。
観光地的にはその足元にある白いパラソルがズラリと並ぶ ヌエバ広場 が有名ですが、
今回私の一押しはこちら、トリニダード広場 です。
- プラタナスだと思いますが、一ブロックが 「緑」 の公園となっています。
- その周囲は道を挟んでオーニングを掛けたカフェが 「緑」 に向かい合って建ち並んでいます。
今はグーグル・ビューがあるので便利になりました。是非覗いてみてください。
- そんなもん、わざわざ覗くかよっ!の人のために、グーグル・ビューをキャプチャーしたものもアップします。
- わざわざ覗くかよっ!の人はどうぞ。
大きな地図で見る
クリックで拡大:1900*3180pxl
ここには日本の 地方都市が失ってしまった街の 「潤い」 へのヒント があるように思います。
- 特に区画整理をやってしまった街への。
この公園は自分が主になるというポジションにはありません。
・・・
まずは周りを活かすための存在、言わばバイ・プレイヤー的な役回りなのですが、
しかしお互いが向かい合う連携を高めて一空間として成立し、そのポテンシャルを増強している好例に思えます。
- グーグル・ビューを見た人は、ついでに公園南西の角か南東の角から南に歩いてみてください。
- 日本の地方都市から失われた素敵な商店街が楽しげに続いています。
- ・・・
- 「車」 の扱い方ひとつでどう街が成長していくのか、を考えずにはいられません。
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ちなみに、公園の一辺の長さが大丸本館の奥行きの長さとほぼ同じ であることを申し添えておきます。
・・・
さて次回記事では、私の個人的な 「大丸跡地プラン ver.2」 を描こうと思います。
- 「大丸跡地プラン ver.1」 はこれでした。
- ○ 4-4[仮想プラン] 旧大丸・寿屋に「食のホール」を埋込む
- ○ 4-10[仮想プラン] 炙る肉の匂いと煙で包む「食のホール」
http://kashiwada.miyachan.cc/e376843.html
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Analysis / 現状考察
Mon, 27 May 2013 00:00:00 +0900
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2-9:行きはよいよい、帰りは?の九州一周:神武東征ルート
東日本大震災もあって大々的なお披露目をできなかったようですが、
ここに来てジワジワとその認知度も上がってきた 「 九州新幹線 」 、利用者がグ~ンと増えるといいですねぇ。
○ JR九州 - 九州新幹線WEB
※ クリックすると 「 九州新幹線WEB 」 サイトを開きます。
- 「 全線開業イベント 」 を紹介したページもありました。
-
- ○ JR九州 - 祝!九州 九州がひとつになる : 九州縦断イベント
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- ※ クリックすると 「 九州縦断イベント 」 サイトを開きます。
まだ全線が繋がっていなかった2年前、鹿児島発の車両はガラガラでした。
これからは九州の南北を結ぶ大動脈として機能してくれることへの期待は大きく膨らみます。
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さてこの九州を縦断する 「 新幹線 」 ではありますが、
ちょっと九州内で置いてけぼり気味な 「 宮崎 」 にも何か波及するものがあるといい のですけれど。
- 九州東部もう一県の 「 大分 」 は新幹線に頼らずとも、北部九州圏として別の位置付けを確立していますしね。
-
- ○ JR九州 - JR九州の主な列車たち
-
- ※ クリックすると当該サイトを開きます。
今では 帰省 と言えば、飛行機の利用しか考えられないくらいに体力が落ちてしまっていけませんが、
思い返せば若い時は、飛行機、フェリー、鉄道 と ( 空、海、陸と ) 移動そのものを楽しめていた気がします。
・・・
特に鉄道は、・・・
「 小倉発着の新幹線 + 日豊本線のL特急 」 なんていう拷問に近い帰省とかや、
それでも気分を変えての 「 博多発着の新幹線 + 鹿児島本線のL特急 + 肥薩線 + 吉都線 」 なんて経路も楽しんで。
- 新幹線で数時間立ちっ放しの後、小倉から延々6時間ってぇのはなんともヘトヘトでした。
-
- ○ Wikipedia - 日豊本線
-
- しかし、小倉駅の新幹線改札、日豊本線ホームの人々が流れていく情景や
- 何故だか久留米駅(多分)のホームで数回は食った立ち食いうどんの記憶がやたら鮮明に残っているから不思議。
そんな中、帰省とは言え 旅心満点 であったのは、俗に 「 ブルートレイン 」 と称されていた寝台特急でした。
○ Wikipedia - ブルートレイン
私の学生時代には、都城も 東京~の 「 富士 」 と 新大阪~の 「 彗星 」 の二系統が走っていましたから、
とりわけ鉄っちゃんでない私なんかでも、往路なり復路なり様々な思い出はそれなりに蘇ってきます。
- ブルトレに乗り込む本駅のホームには提灯がぶら下がっていたり、鈴虫がないていたり。
- 夕刻4時過ぎに都城を出た後のオレンジ色に染まっていく宮崎の風景。あの時間の缶ビールの美味さったら。
- 乗り込んできた人たちの気配に眼が覚め、その後そのまま彼らと飲み明かし迎えた山陽本線夜明けの眩さ。
- ・・・
- 真夜中に煙草吸いながら 「 富士 」 を待っていた名古屋駅ホーム。薄暗いホームに唯一人。煙草も苦みばしってた・・・はず。
- そうそう、停車した駅で車掌さんにペコペコしつつ自販機への猛ダッシュなんていうのも今となっては、一昭和なのかも。
○ Wikipedia - 富士
○ Wikipedia - 彗星
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言うまでもないですが、「 新幹線 」 は貨物ではなく人を運ぶものです。
- 南九州の魅力 が濃ければ大勢の人がやってくるでしょうし、薄ければガラガラかもしれません。
例えば、喜ばしいことに 大勢の人が日本各地から 「 新幹線 」 に乗って鹿児島まで 来られたとして、
その時気になるのは、それらの人たちの 復路の交通手段 です。
- 往路 「 新幹線 」 で復路 「 飛行機 」 だとか、往路 「 飛行機 」 で復路 「 新幹線 」 なんてことや、
- もちろん往路も復路も 「 新幹線 」 みたいなことでは、南九州はおろか鹿児島という県自体も自滅です。
時間を優先する場合を別にして 「 同じ道の行って来い 」 はただの移動にしか過ぎず、つまらないものです。
況して、それが観光であるなればなおさらです。
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今一度、上にリンクを貼った 「 JR九州 - JR九州の主な列車たち 」 の九州の地図をもう一度見てください。
・・・
鹿児島~熊本には肥薩線が走っています。
ここで 「 新幹線 ~ 鹿児島 ~ 飛行機 」 とか 「 新幹線 ~ 鹿児島 ~ 肥薩線:SL人吉 」 なんてことなら
天皇家の祖を生んだ 「 宮崎 」 の立つ瀬がありません。
おっとそう言えば、たまたま前回に 「 神武東征 」 の話で一服したところでした。
ほら、ちょうど九州一周だ
今や 「 宮崎 」 という地が 「 鉄道 」 に移動手段としての価値を求めているかと問えば、残念ながらそれはないでしょう。
しかし、即物的な 「 移動 」 ではなく、時間の質に重きを置く 「 旅 」 を考えたならば、どうでしょうか?
- 別に毎日ってことじゃなくてもいいんです。
- クルリンと霧島を一周してから日豊本線を上って行ったって構やぁしません。
- 2、3時間ぐらいジィィ~~と夕景の海原を眺めながら、宮崎の美味いメシなり焼酎なりかっ喰らったら極楽です。
- 真夜中に山ん中で停車して、満天の夜空でも眺められればこれまた最高の御馳走!
- 夜明けの宇佐神宮なんてオプションがあっても驚きません。九州万歳です。
不便だからこそ、「 一泊 + 新幹線 」 の代わり になる旅が転がっているような気がします。
「 ファスト鉄 」 じゃなくて 「 スロウ鉄 」 。
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「 スロウ鉄 」 日豊本線ブルトレの 名は 「 神武 」 です。
奈良は樫原まで行きます。
- あっ、それはないかな。
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Analysis / 現状考察
Fri, 29 Jul 2011 08:00:00 +0900
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2-8:「 霧島 」 と 「 霧島 」 の 霧の島 : 下
そんなつもりではなかったのに、半年近くも更新が滞ってしまいました。
- 年明け早々に都城の街に欠かせぬ存在であろう 「 大丸の民事再生法申請 」 の報を聞き、書きかけ記事を練り直し。
- と、修正に悶々とする中、宮崎で 「 鳥インフルエンザ 」 が発生したとのことで、暫く自粛気分。
- そこに間髪入れずの 「 新燃岳噴火 」 火山灰の都城直撃の衝撃は記事内容をも直撃し、自粛延期も余儀なしと意気消沈。
- ・・・
- そんな独り善がりの自粛気分は 3/11 の現実にも見事に叩きつけられ、それからの2ヶ月はてんやわんやと相成りました。
久しぶりにページを開くも、記事の書き方をスッカリと忘れている。
それよりも大きな問題なのが、「 何を書いていたか 」 なのだけれど書いているうちに思い出せるかな。
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さて、半年前の記事はどこで終わっていたかと振り返ってみます。
・・・
あ、なるほど ・・・ 「 都城は宮崎 」 というより 「 都城は霧島 」 でしょ!の件、そしてこのイメージを提示したのでした。
Kirishima Oval
ところが甚だ遺憾なことに、・・・
その霧島は新燃岳が52年ぶりの噴火を起こし、都城に於いても甚大な被害を被る事態になってしまいました。
・・・
自然の力を眼の前にすると、人間の存在なんてちっぽけなもんだと実感します。
- 新燃岳の噴火もそうですが、なにより東北の震災の凄まじさにそう思わざるを得ません。
しかし興味深いことは、そんな 東北の復興策として 「 三陸復興国立公園 」 なる構想が持ち上がってきたことです。
○ Google ニュース検索 : 「 三陸復興国立公園 」
私たちは今、コテンパンに打ちのめされて地面に突っ伏してしまいました。
しかしここは気を取り直し、大の字になったその上空、広大に拡がる青い空をもう一度私達のものにせねばなりません。
- そうです、合言葉は 「 災い転じて福となす! 」 です。
「 三陸復興国立公園 」 もその後の進展は甚だ不明瞭ですが、
復興する力というものが与えられるものでないことは三陸も霧島も同様のはずです。他所を気にする必要もないでしょう。
・・・
霧島も日本で最初の国立公園です。
○ 霧島屋久国立公園 - Wikipedia
願うならば、国頼みに溺れることのない 「 霧島復興国立公園 」 への志が都城に産まれると素晴らしいなぁ。
九州力、霧島力
※ クリックで拡大します。900 * 1300 pxl
そんな想いを委ねた 「 Kirishima Oval 」 ですが、ここでそのスケールを確認しておくことも無駄ではありません。
・・・
緑の楕円が 「 Kirishima Oval 」 です。ピンクは 「 錦江湾 」 を同様に掴んだ楕円です。
「 霧島 」 と 「 錦江湾 」 のスケール
※ クリックで拡大します。800 * 800 pxl
この 「 霧島 」 と 「 錦江湾 」 を示した楕円を関西の地図の上に乗せてみます。
「 霧島 」 の楕円と 「 錦江湾 」 の楕円
※ クリックで拡大します。800 * 800 pxl
緑の楕円は、ちょうど 「 京都~大坂~奈良 」 のエリアと重なります。ピンクの楕円は、「 琵琶湖一周 」 とほぼ同じです。
- 或いは、長手距離が東海道で伊勢湾に届く距離だとも言えます。
比べることで、「 霧島 」 と 「 錦江湾 」 のスケールがどの程度のものなのかが見えてきませんか?
http://kashiwada.miyachan.cc/e250887.html
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Analysis / 現状考察
Wed, 01 Jun 2011 08:00:00 +0900
-
2-7:「 霧島 」 と 「 霧島 」 の 霧の島 : 中
「 出身はどこですか? 」 「 宮崎 です 」
・・・
実を言いますと、言う度に、年を重ねる毎に、違和感が増しているのです。
今更言うのも語弊があるでしょうが、「 都城 」 は 「 宮崎 」 ではないんです ね。
- それは都城で育った私にしても、都城を知らぬ人の 「 宮崎 」 に照らされても。
「 宮崎県の都城市 」 なる括り方には、地勢も文化もそれらに纏わる背景も異なる訳ですから、
藩から県に移す時の行政的な仮処置がそのまま惰性化している困った状態のようにも思えます。
宮崎県都城市
※ 旧市域は図中に示した線の左側、三重県を左右反転させたような形だ。
例えば、上図のようなよく眼にする地図表記ですが、この表現で 「 都城 」 は見えてきません。
語ろうにも、そこからは 「 都城 」 を何にも語れないことに気付くのです。
- 「 県 」 と言う単位で区切ってしまうことの弊害です。
上のような捉え方での行き詰まりは、「霧島 」 との繋がりで 「 都城 」 を描いてみれば打開できます。
・・・・・・
・・・・・・
「 出身はどこですか? 」 「 霧島 です 」
・・・
本当は、このほうが全てに説明がしやすいのです。
- 平成合併でお隣に霧島市なんてできたので、新たなややこしさが生まれちまいましたが。
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
ところで、それなりに新聞広告は見ていたとは思うのですが、こんなのは初めて見ましたね。
「 霧島酒造 」 の文字が (中日新聞紙上)
※ クリックで拡大します。1300 * 900 pxl
南九州 ( 鹿児島~宮崎 ) を横断するようなパックツアーはあるようで、その実なかなかないんですね。
- いやまぁ 「 都城 」 はまだ寄り道に過ぎないですが、それでも他人の眼に触れますから一歩前進です。
ただ上記のツアーコースをじっくりと見てみれば、「 霧島 」 がスッポリと抜け落ちている ことが判ります。
・・・
これはつまり、「 都城 」 もですが 「 霧島 」 そのもののブランド力が問われているということの証。
・・・・・・
・・・・・・
なんてことを長年思っていましたら、ついに突破口が開けてきたようです。 ・・・ これです。
○ ジオパーク - Wikipedia
・・・
○ 霧島ジオパーク::霧島ジオパーク-自然の多様性とそれを育む火山活動
- 「 霧島ジオパーク 」 を頭ん中で具体化するには、左から3番目の 「 環霧島 」 のページへ。
○ 日本ジオパークネットワーク
- 但し、日本ジオパークネットワークのサイトで 「 霧島 」 のページに出てくる 「 霧島観光MAP 」 ですが、
- 思いっきり都城は端折られています。これは頂けません。(社)大霧島観光協会に作り直して貰うべきです。
しかし、何と言うんでしょうか、門外漢の人には甚だ判り難い 「 環霧島 」 ですよね。
・・・
で、一発でイメージできるように、勝手に 「 環霧島 」 の図を作りました。 ・・・ これです。
- 「 宮崎県の都城市 」 ではなくて、「 環霧島の都城 」 です。
これが 環 「 霧島 」
※ クリックで拡大します。1000 * 1000 pxl
そう言えば、まさか宮崎の人は宮崎がどこにあるか知らぬ人はいないと思いますが、
驚くことに宮崎がどこにあるか知らぬ 若い奴 方々も多いのですよ、九州を離れますとね。
・・・
それで、これです。 ここが 「 霧島の地、都城 」 だぞ、と。
これが 環 「 霧島 」 in 九州
※ クリックで拡大します。1000 * 1000 pxl
そもそも何と申しましても、 「 霧島 」 は日本の国立公園第一号なのですから、
○ 環境省:生物多様性情報システム > 日本の自然保護地域 > 国立公園 > 霧島屋久国立公園
○ (財) 国立公園協会 > 自然公園へのご招待 > 国立公園ガイド > 霧島屋久国立公園
何故にこれまで 「 環霧島 」 的発想で地域発信ができなかったんだと言う疑問は残りますが、
実はその答え ・・・ 縦割り県行政の犠牲、ベルリン的東西分断の成れの果てな気がします。
・・・・・・
・・・・・・
しかし、時は 「 横断的思考 」 ・・・ 「鹿児島~宮崎」 でありますから、
ようやく、ここぞの 「 霧島 」 で日本に、いや世界に攻めねばなりますまい。で、・・・
・・・
そのためにも、一目で 「 環霧島 」 を植えつけるためにも、
慌てないよう、もう作っちゃいました、イメーージ図柄とキャッチコピー。
これです。 ・・・
Kirishima Oval
「 霧島ジオパーク 」 なんて言っても全国の脳味噌には届きませんからね。
一目で脳味噌にたたみ付けられる絵を考えました。 ・・・ 名付けて 「 Kirishima Oval 」 どないです?
- あっ、やっせんなぁ、みやこんじょ弁を忘れっしもたぁ!
- ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
- おっ、思い出したがよ。 どげんじゃろかぁ? じゃっどが? ・・・ うん、まっごちょらん。じゃっ!
・・・・・・
・・・・・・
では、もう一度。
勝手に考えました。 ・・・ 名付けて 「 Kirishima Oval 」 どげんじゃろかい?
- なんだか子宮みたいで、赤ちゃん生まれそうで ・・・ !?!
- 天孫降臨 ・・・ 霧島は日本の 「 子宮 」 だぞ、と。
http://kashiwada.miyachan.cc/e218321.html
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Analysis / 現状考察
Mon, 27 Dec 2010 08:00:00 +0900
-
2-6:「 霧島 」 と 「 霧島 」 の 霧の島 : 上
大学に入るために都城を離れ住み始めた京都は、焼酎 を飲む人間などどこにいるのか、な街でした。
・・・
品揃えのある酒屋でも、一升瓶がズラズラリと並んだ棚の端っこで申し訳なさそうに数本置かれているだけ、
それもほぼ確実に 「 さつま白波 」 の白い波頭だけが眼に入る有様です。
- とは言え、当時は皆が取合えずビールの後に飲む酒と言えばほぼ確実に日本酒で、
- 焼酎なんて飲む奴はいないし、思い返せど焼酎を飲んだ記憶も全くありませんね。
- ・・・
- ですので、日本各地の利き酒ができる位に日本酒ばかりを飲まされました、ええ。
今やそれも昔、・・・
日本のどこの飲み屋に行こうが、「 霧島 」 と言えば 焼酎の 「 霧島 」、誰でも知っています。
周りの9割~の飲兵衛は当り前のように焼酎を、またその内の相当数が 「 霧島 」 をグビグビと飲んでいます。
- 当時は、「 霧島 」 と発したならば、それっ 「 花は霧島ぁ~煙草は国分ゥ~ 」 と歌わされたもんです。
- ・・・
- 今はここ名古屋の居酒屋でも、棚に並ぶキープ 「 黒霧島 」 が日常の光景になりました。
- 隔世の感を禁じ得ません、本当に。 あのひっそりと置かれていた薄暗い店の隅っこが懐かしい。
そして、スーパーだろうがコンビニにだろうが、焼酎が堂々と並んでいます。有難いことです。
・・・・・・
・・・・・・
なのですが、 「 霧島 」 がどこの酒かを知る人間はほとんどいません。
況してや 「 都城 」 に行ったことのある人間など、残念なことに私の周りには皆無です。
- 今や全国区となった焼酎 「 霧島 」 を以ってしても、本家 「 霧島 」 への関心には結びつかないのです。
- これは、「 霧島 」 を仰ぎ見て育った人間にとって、何とも歯痒く残念なものです。
都城 ⇒ 高千穂の峰
※ クリックで拡大します :1000*1000pxl
ところで、地の人間には常識ですが、都城から望める 「 霧島 」 は 「 高千穂の峰 」 に他なりません。
・・・
そして、その 「 霧島 」 がなんとも 漢字の 「 山 」 の成立ち をも連想させる綺麗な姿形で、
- ○ 漢字の成り立ち
- ○ Wiktionary - 山 : 字源
都城から 「 霧島 」 を見たならば、それは皆が皆 「 やまっ! 」 と必ず反射回答する姿形なのです。
高千穂牧場から見る霧島
※ クリックで拡大します
上写真は都城市内より西に行った霧島神宮近くの高千穂牧場からの 「 高千穂の峰 」 。
・・・ なので、どうにも見ている姿に違和感がありますね。
- やはり、馴染んだ 「 霧島 = 高千穂の峰 」 の姿形はこちらです。
- といっても、これも高城辺りで JR か高速バス車中から慌てて携帯撮りしたもの。
-
- 都城から見る霧島
- ※ クリックで拡大します
-
- ※ どなたか、都城から望む 「 高千穂の峰 」 の写真、又はサイトを教えて貰えれば 有難いです。
- ※ 幾らか捜したのですが、都城からの 「 やまっ! 」 を見つけられませんでした。
・・・・・・
・・・・・・
そんな 「 山 」 なのに、何故だか積極的に ・・・
市内から 「 霧島 = 高千穂の峰 」 を仰ぎ見る気風も気配も見当たりません 。
- 私が小さい頃でも、 「 霧島 = 高千穂の峰 」 の眺望を活かそうなんて考えはなかったように思います。
たまたま北西の方向に山があるねぇ位のもんでしょうか。もったいない話です。
都城 ⇒ 高千穂の峰
※ クリックで拡大します :1000*1000pxl
いえ、マジに 正直もったいないと思いますよ。
- ご承知でしょうか、大都市なんてわざわざ夜景で酒を飲もうと努力するんです。
「 山って字はね、・・・ 」 などと一つ覚えのうん蓄を語るかどうかは別としてですね、
例えば、運良くして 霧に浮ぶ 「 霧島 = 高千穂の峰 」 を仰ぎ見ながら、
「 黒霧島 」 でも 「 白霧島 」 でも・・・くつろいで飲めたなら最高じゃないでしょうか!
- 時には 「 赤霧島 」 でもいいでしょうけどねぇ。キリッとしてて。
- ・・・
- あっ、もちろん 「 霧島 」 でなくても、都城の焼酎なら万々歳ですね。
もうね、そんな空気の中で焼酎飲めたらこんな贅沢はないですよぉ。
それこそは 日本の ( 世界の ) どこにもない 至福の 「 霧島 = 高千穂の峰 」 です。
当たるかな?
何れにしろ、焼酎を美味く飲める至高の環境 が欲しいですよね、「 霧島 」 の地に!
http://kashiwada.miyachan.cc/e213324.html
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Analysis / 現状考察
Fri, 24 Dec 2010 08:00:00 +0900
-
2-5:観念一新の 「 クラフトマンズ・シティ 」 : 下
- 酒を飲みながら書いていたら、これがなんやかやと長くなってしまい ・・・
- で、2回に分けようと考えたのですが、分けたら分けたでまたダラダラと書いてしまう。
- ・・・
- こうなれば、仕方ない。今回、つづき編は ・・・ 肥大化していく妄想論です、流れで。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
日本各地の商店街で、シャッター街空店舗対策 の模索が続いています。
それは、新聞情報でもネット情報でも眼にしない日は無いほどです。
・・・
でも、 「 モノを売る 」 発想だけの商店街再生はやはり難しい んじゃないかと思うのです。
- 「 モノ 」 を売りたい店々、 「 モノ 」 を買いたい人々を束ねることはインターネットに移行します。
- 売る、買うだけなら、既にインターネットでほぼ代用できる時代・社会なのです。
● まちづくりで掲げられた言葉から抜けていった 「 コト 」
大分県発祥の 「 一村一品 」 コンセプトも既に30年が経ち、、今や日本各地に広まりました。しかし消費者の眼には、それは単なる 「 うちの特産物 」 を言い表すに過ぎない便利な言葉のようです。
・・・
或いは、言葉がとっても素敵な 「 楽市楽座 」 も自由闊達なイメージを利用されることの多い言葉です。
しかしこちらも実際は、「 モノ売り 」 への阿りが透けて見えてくる土産物ばかりが目に付く有様だったりします。
- 「 一村一品 」 も 「 楽市楽座 」 も、今や単なる客寄せコピーに甘んじている感が無きにしも非ずの現実です。
改めて問い直すのですが、・・・ これらの 「 楽市楽座 」 や 「 一村一品 」 と言葉にした時、
そこに 私たちが望んだものは 「 モノ 」 以上に 「 コト 」 への参加 だったのではないでしょうか。
- 耳にたこができるくらい使い古された言葉ですが、現実化の手立ては想像以上に厳しかったのでしょう。
- 街から、そして 「 まちづくり 」 から、「 コト 」 が抜け落ちていった ことに愕然とします。
その証に、マグロの解体ショーなんてあると、人は群がりウキャキャキャキャと歓声が湧くのです。
「 食 」 絡み だと、あちらこちらで 「 コト 」 を活かす動き があります。
- そこには、何かしらのヒントがあるように思います。
- ・・・
- 「 コト 」 だ、「 コト 」 だと言っていますが、もう一つ意味を掴んで下さらない方がおられるやも。
- 「 コト 」 の鍵は 「 時間 」 です。楽しんで過す時間というものの大切さなんです。これでどうでしょう。
職人技だ!
※ クリックで「 Google 検索 : マグロ解体ショー 」 のページを開きます。
実は、このブログの初回で、
中区区画整理地区 はまだまだ更地風情が色濃くて、なんだか工業団地みたいな様相を呈いている。と、鎌をかけた書き方をしました。 嫌味なんかじゃなくて、実はある意味私の本音ではあるのです。
・・・
もちろん、人気のない殺風景な工場が建ち並べば良いなどとは露とも思ってはいませんが、
熟練の 手仕事職人達が蠢き、その音々が響いている街 があれば素敵だな、とは思います。
・・・・・・
・・・・・・
そう言えば、この 20年という年月が失われる直前の日本 は、
世界から 「 日本株式会社 」 なんて言われ方をしていました。
- 最近ではお隣の大国が 「 中国株式会社 」 と呼ばれちゃっています。
この 「 ○○株式会社 」 なる言葉、反面的な言葉ではあるでしょうが、
知れば知るほど、考えれば考えるほど、私には底知れぬ底力、魅力を持ったものに思えてくるのです。
・・・
そう呼ばれるのは、国全体が迸るような エネルギーを発している何よりの証し です。よね。
- おそらく、活力を失った今の日本に、これに勝るポジティブなコンセプトワードはありません。
● 「 職人街株式会社 」 を目指すまちづくり
即ち、職人が街に溶け込み闊歩する 「 職人街株式会社 」 なんて呼ばれる位の中心市街地ができれば、
その街は個人的にはもう・・・ 「 私のディズニーランド 」 といっても過言じゃありません。
- 別に都城でなくてもいいですから、本当にどこかにそんな街ができてくれたらいいなぁ。
- ディズニーランドが作れる位だから、できないことはないでしょうに。
- あとはどの街がそれをやるか、やれるかだと ・・・ 思いたいです。
団塊の世代の方々がドドドッと第二の人生を歩み始められますから、
もういろんな手の 「 職人 」 さんを掻き集める動きがあっても面白いかもしれないよなぁ。
- ○○ホールで○○工芸教室の講師なんてされるよりは。
「 職人街株式会社 」 は、人呼んで 「 クラフトマンズ・シティ 」 と相成るのです。
・・・
あらゆるものの修理・修復、リペア・リフォーム、何でもござれ!
- 家具から楽器から玩具から時計からカメラから etc・・・
仕事見たけりゃ寄っといで、てな空気が街に生まれりゃ ・・・ 本当に素敵!
・・・・・・
・・・・・・
う~ん、ちょっと飲みすぎたかもしれないけれど、・・・
でもね ・・・ 街の中に 「 職人 」 という存在 が宿れば、
きちんとその街の文脈上で、且つきちんと 地に足付いた 「 コト 」 が担保されるはず なんです。
- 都城も、いろんな 「 職人 」 さんの街だもの。
それこそは、この先も ・・・ 私たち日本人が失ってはならぬ、
そして皆に誇れる 「 Made in Japan 」 そのものなんじゃないかな。・・・ と思う次第。
・・・・・・
・・・・・・
きっと皆さんにも、自分だけの 「 私のディズニーランド 」 があるはずなんです。
まずは皆がそれを語らなければ、「 まちづくり 」 なんてものは始まりません。
・・・
難しく考えなくても、行って見たくなる街ってありますよね? ほら・・・今、頭に浮んだ街はどこ?
http://kashiwada.miyachan.cc/e216358.html
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Analysis / 現状考察
Sat, 18 Dec 2010 08:00:00 +0900
-
2-4:観念一新の 「 クラフトマンズ・シティ 」 : 上
ぶっちゃけ、今後 「 中心市街地 」 に求められる姿がこれまでの延長線上にあるとは思えない のです。
- パリに最初の百貨店が誕生してから150年~。
- 人々を惹き付ける商業施設がスーパー、コンビニ等々へと業態変化をしつつ多様化していますが、
- その体質に見る顕著な特徴は、「 中心市街地 」 に拘らぬ臨機応変な立地対応性にあります。
- これらは、多店舗展開、車依存をその核なる戦略として発展させた形態だとも言えます。
とはいえ、都市の将来から 「 中心市街地 」 が無くなるなんてこともない と信じます。
・・・・・・
・・・・・・
現在に至る枝が枝分かれする前に一旦立ち返り、別の枝を組み立て直す時代となったようです。
そうですね、パラダイム・シフト です。
・・・
取合えず、前回記事をおさらいしたいと思います。
- ● 中心市街地の活性化を図るには、商業・公共施設の再充実策だ、やっぱり。
- - ▼
- ● そうであれば、車利用者、即ち駐車場への対策が必要不可欠。無ければ話にならん。
- - ▼
- ● でも車依存であれば、結局は郊外やロードサイドの店の方が便利だ!
-
- なんてことは、否応のない現実なのは既に皆が皆判っている。 で、あれば ・・・
- 頭の 「 商業・公共施設の再充実策だ、やっぱり 」 な観念こそを疑ってみる必要があるんじゃなかろうか。
- ・・・
- そこで、元へ元へと辿るように考え直してみたい。
-
- ● 車依存であれば、郊外とかロードサイドの方が圧倒的に便利だ。
- - ▼
- ● そうであれば、車交通に依存しない業種による中心市街地の再構築も一考の余地がありそうだ。
- - ▼
- ● ・・考・・考・・
-
- のような考察も意味を持ちそうだ。
- それなら ・・考・・考・・ の過程で、「 昔の都市を構成していた町々がどうであったかを探る 」 のも有効かも。
- ・・・
- でも、誰もこんなこと言わないし教えもしないし学校の試験にも出るこたぁないんだよなぁ。不思議だな。
-
- - 前記事タイトルの 「 試験にゃ出ない 」 って何だ?と聞かれました。
- - まぁ、確かに判りにくい。 「 誰も言わないけど 」 の意です。すみません、奇をてらっちゃって。
と、以上のようなことでした。
・・・・・・
・・・・・・
洋の東西を問わず、古都と言われる街の往来の激しい大通りを一歩入った小路とかを歩いていると、
これが以外にも、トンテンカンテン、トンテンカンテンと 手仕事の音 が響いてくるのに気付くことがあります。
● 街には手仕事の音が響いていたものだが、・・・
大都市であればより顕著だったでしょうが、どんな街にも職人の街が存在し、また今に残る処もあります。
そうなんです、街は モノの商いをする場 でもありますが、モノを作る場 でもあったわけです。
明治東京 : 銀座~木挽町~築地
※ クリックすると、goo 地図の当該ページを開きます。そして、左上にある「明治」ボタンを。
- goo 地図 : 古地図 のサイトはこちら。 ○ 古地図 - goo 地図
- 文字の並びは、上⇒下は問題ないでしょうが、明治時代ですから右⇒左、右上⇒左下です。
殆どの人にとって東京・有楽町駅を出て東(海側)エリアの認識は 「 銀座~築地 」 だと思います。
・・・
ですが、明治時代 の地図を覗いてみて下さい。
「 銀座~木挽町~築地 」 と 「 木挽町 」 なる町名を発見 できるでしょう。
- ええ ・・・ 歌舞伎座がある辺りになります。
また、その 「 木挽町 」 から北に、「 京橋~日本橋~神田 」 へと明治時代の地図を辿って見てください。
江戸時代~のこの下町エリアが、如何に 職人の街 であったかが、その町名から判るのです。
・・・・・・
・・・・・・
ところが我が国では、 「 街中手仕事音 」 がめっきりと減ってしまった のを実感します。
- とても残念ですよね。
- ・・・
- 現在でも幾らかその名残があるとすれば、陶器を造る町々(街々)でしょうか。
- また、酒、醤油、味噌、酢など醗酵モノが盛んな地も、まだ面影が残っているようにも感じます。
これは、街で作られ、そして売られていたはずの 「 モノ 」 が、
利便性追求、或いは均一化・大量生産などの社会システムの度重なる革新や需要層の感覚変化に併せて、
「 モノ 」 を作っている場、情景が人々の前から遠ざかった 結果です。
- インターネットの発達で、特にこの10年余りの、「 モノを売る・買う 」 の社会環境は激変しています。
- ○ 統計局ホームページ / ネットショッピングの状況
- ○ インターネットショッピング調査 : 富士通総研
● 「 モノ 」 を作る現場の復権
ですが、・・・ 可笑しなことに、この10年余りで逆に 増えてきた 「 モノ作りの現場 」 がある のです。
・・・
さて何でしょ~~~ぅかっ?
- う~ん、焦らしてみたいけれど、ブログじゃ無理だなぁ。つまんない。
例えば、工場見学 です。???と思われる方が多いかもしれませんが。
・・・
工場見学といっても、作業場内をゾロゾロ見て歩くんじゃありません。
施設に作業風景を見学するための専用スペース(ギャラリー)が作られるようになったのが味噌です。
- 「 モノ作りの現場 」 は、地に足着いたエンターテインメント、イベント、興行だと言えます。
例えば、レストランの厨房・キッチンのオープン化 です。
・・・
寿司屋でも天麩羅屋でも明らかなように、元来和食の店は客の前で作ることも重要なサービスの一つなのです。
それがフレンチ、イタ飯などの洋食屋にも波及してきたのですね。
- ちょっと古い映像ですが、この様な見学の発展形として今の潮流はあります。
ところで、今日も東京だか大阪だか名古屋なのか、どこかの百貨店の 「 ○○県大物産展 」 で、
お客さんを前にして、幾人かの職人さんが竹を編んでおられるかもしれません。
○ たくさんとくさん takusan.net : デパート物産展、アンテナショップイベント情報
しかし、職人さんの仕事っぷりは本来の仕事場を覗かせて貰うのが一番なんです。
- あれでは動物園の白熊と変わらないじゃないですか。
- 同じ仕事であっても、パフォーマンスはパフォーマンスです。
地に足が着いていなきゃいけません。仕事は本来、現場で息付いているんですから。
・・・・・・ つづく ・・・・・・
http://kashiwada.miyachan.cc/e215578.html
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Analysis / 現状考察
Mon, 13 Dec 2010 08:00:00 +0900
-
2-3:試験にゃ出ないけど、捨てちゃいな、その固定観念!
日本全国、北から南まで殆どの 地方都市中心市街地 は、見るも無残な シャッター通り になりました。
- 大都市近郊、時には都市内商店街に於いても似たような状況のエリアが増えてきた。やばいなぁ日本。
そんな失われた20年さえも年々更新していく気配に包まれている時代です。
・・・
しかし、です。
切実な思いの元で策定されたであろう日本各地の 「 中心市街地再活性化プラン 」 を覗き見すれば、
未だにその 基本指向が 「 車交通依存症 」 の症状から抜けきれない のは、ちょいと不思議で可笑しな事実。
・・・・・・
・・・・・・
それにしても、いつから日本の街は車無しでは成り立たなくなったのでしょうか?
・・・
なんて考えていると、現在の都城の街がどんな業態で形作られているのか興味が湧いてきますよね。
では、今回も 「 まちなか活性化プラン 」 に記載の 「 土地建物分布状況 」 の図を引用してみることにします。
都城中心部の 「 土地建物分布状況 」
※ 「 都城市まちなか活性化プラン 」 から引用。 クリックで拡大します
- 図中、黒線で囲まれている地域は、市が 「 中心市街地 」 と規定しているブロックのようです。
- ・・・
- 既記事中の引用図を参照してください。 ○ 2-1:「 中央通り 」 は街の背骨足るだろうか
眼を惹く色は赤色と緑色ですが、赤色が商業系施設、緑色が公共施設 です。
・・・
日本の都市と言う都市が、
戦後の高度成長期ホルモンを浴びて 「 中心市街地 」 が商業・公共施設で埋め尽くされました。
- 言うまでもなく、それらの施設・建物群は成長の証でありました。
残念なことにそれらが見るも無残な シャッター通り へと変貌した今、
- これは、重ねてしみじみ残念なことではありますけれども、・・・
商店街に人が集う情景への渇望、これがなかなか 脳裏から消えてくれない のです。
ここ、試験には出ないけど、スンゴイ落し穴だと個人的には思っております。
その証拠が全国各地で乱発される 「 まちなか活性化プラン 」 なのですが、・・・ いやはや困りましたね。
- 郊外型やロードサイド型商業店舗に真っ向勝負で勝てない勝負を挑んでも、もはやどうなるものでもありません。
- そんなこと、皆さんわかっているでしょうに。パイが増えているなら兎も角、減っていくわけですから。
・・・・・・
・・・・・・
でもっ! この先 「 中心市街地 」 がお先真っ暗かというと、そうでもないんじゃないかと私は思ってもいます。
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- それほど高い本でもありません。歴史好きな人なら、地名に拘らずとも楽しめるかと思います。
東京と京都の地名 (町名) をテーマに扱った本2冊です。
何故これらの本を唐突に記したのかとお思いかもしれませんね。 でもここで今一度よ~く考えて欲しいのです。
そもそも、街は商業施設と公共施設だけで成り立っていた訳じゃない んですよね。
そのことは、人々がわんさかわんさか蠢いていた 昔日の地名 (町名) から窺い知ることができる のです。
- ちなみに、こちらのサイトなど覗いてみられても面白いかもしれません。 ○ 「職業由来町名」コレクション
この商業・公共施設偏重こそが車依存症の引き金だと考えるのは、私だけではないでしょう。
・・・・・・
・・・・・・
まぁ、何れにせよ、・・・ 「 中心市街地は商業・公共施設で埋まっていなきゃいけない 」 などという
固定観念は綺麗さっぱり捨ててね!
・・・ と切に申し上げたい! のです。
http://kashiwada.miyachan.cc/e215148.html
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Analysis / 現状考察
Thu, 09 Dec 2010 08:00:00 +0900
-
2-2:そう言えば、ラドバーン
街は 「 レイヤー 」 を持たなきゃいけません!
・・・
おっと、いきなりでしたがパソコンでグラフィックソフトを扱う人も増えて来ましたから、
ここで 「 レイヤー 」 という概念を提示してもおそらく戸惑われることもないでしょう。
- 御存知ない方のために。「 セル画のように層を重ねること 」 のような意味です。
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前にも言いましたが、人がブンブン走り回る車の横を歩きながら幸せを感じた時代は疾うの昔のこと。
もはや、人と車が同じレイヤー上で動き回るなど百害あって一利なしじゃないかなぁ。
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これからは 「 一つ目のレイヤーには車道網 」 、「 二つ目のレイヤーには歩行網 」 のような街になって欲しいもの。
そうでなければ、街中に 安全な 「 歩行者ネットワーク 」 など構築できるわけがありません。
- 大都市であろうと小都市であろうと、これからの街は 多層構造 であるべきだと信じます。
そう言えば、アメリカに ラドバーン という街があります。
※ クリックで Radburn の HP を開きます
- Radburn - A Town for the Motor Age in Fair Lawn, N.J., U.S.A. - MAP page
ラドバーン方式として有名になったそのシステムは、車の道と人の道を完全に分離 したことに特徴があります。
- 個人HPですが、ラドバーンの様子が判りやすい上、リンク不可でもなさそうなので。
- ○ 街づくりの理想をみた!のまき
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何だ、輸入もんのシステムかよ!と思われたかもしれませんね。
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実は、意外にもそうではありません。車と人の 「 歩車分離 」 は20世紀の車社会があったからこそ生まれた訳ですが、・・・
ちょっと一息ついて、上の 「 車と人 」 を 「 舟と人 」 に置き換え てみてください。
- 舟の道 ( 運河 ) と人の道の分離なんて、昔の日本の街では当り前に普通にあるシステムでした。
- 時代劇をお好きなら、もう頭の中にイメージを描けてますよね。
玄関と勝手口、表と裏でそれぞれ別の交通網と繋がっていた街構造がそこにあったわけです。
他にも、例えばヴェネツィアやアメリカのサン・アントニオなどの街を思いだす方も多いかもしれませんね。
ヴェネツィア:Google Maps
大きな地図で見る
サン・アントニオ:Google Maps
大きな地図で見る
- サン・アントニオは、私の別ブログ記事ですが ・・・ ○ Astro ・・・ サンアントニオへ飛ぶ
さて、本題に戻ります。 判るでしょうか、ほらっ!これらは 「 レイヤー 」 構造を持つ街なのです。
街が 多層構造 なんですね。つまり、街に 「 歩行者のレイヤー 」 が担保されていると言うことです。
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街の活性化に必要なものって何なんだろうって考えますよね。
- え~と、公共施設も必要だし、商業施設も必要だし、・・・
本当に必要不可欠なのは一つ一つの単体施設よりも、
それらが根を下ろすための、下ろせるだけの 「 床 」 ではないでしょうか。
- これを 「 インフラ 」 などと言っては実に無味乾燥ですから、
- 私はこの 「 床 」 のことを、素直に 「 街床:まちどこ 」 と呼んでみたいと思います。
- ・・・
- 農業の基礎が 「 土 」 であると聞きますが、それに近い考えかもしれません。
健全な 「 街床 」 を創ることができれば、そこに育つものも、育とうとするものも自ずと出てくるでしょう。
http://kashiwada.miyachan.cc/e214113.html
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Analysis / 現状考察
Sat, 04 Dec 2010 08:00:00 +0900
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2-1:「 中央通り 」 は街の背骨足るだろうか
何時ごろから言われていたでしょうか、銀行の通りに対する閉鎖性のことです。
- 少なくともあのバブル時代にはチラホラと聞いていた記憶がありますから、少なくとも20年以上にはなります。
通りに面してはいるものの街には閉じたまま、その上3時になったらシャッターを下ろしてしまう。
通りの活性化の観点からは全く好ましくない存在なのが銀行だという訳です。
● 通りに背を向ける施設と通りにすがる観念
ところで、このブログのエントリー1回目の初っ端で書きました広口ブラザー、
その跡地には昔の面影をものの見事に払拭した 合同庁舎 が建ちましたが、
実はその 「 中央通りに閉じている立ち姿 」 に、否応無しの事実が隠されているように思います。
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それは、これまでどれだけ 中央通り ( 国道10号線 ) が都城の背骨であった とは言え、
いつまでも中央通りばかりに頼っていてはダメ ということなのです。
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しかしこの現実を眼の前にして、前回触れた 「 都城市まちなか活性化プラン 」 はと言えば、・・・
都城市まちなか活性化重点地域 - 「都城市まちなか活性化プラン」から引用、クリックで拡大します。
そのプランの基軸は、未だ 「 これからも中央通り 」 にしがみついているように思えます。
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このことは、各自治体が都市計画法によって指定する用途地域からも伺うことができます。
では、その 「 都城市中心部の用途地域 」 も見てみることにしましょう。
都城市中心部の用途地域
- 「都城市まちなか活性化プラン」から引用、クリックで拡大します。
やはり、まちづくりの基本骨格として 「 中央通り 」 の縛りから抜け出せていないように見えます。
- 上図で 赤色で示される商業地域 は法規制も厳しくなりますが、建蔽率・容積率の高い地域 です。
- つまり、市としてはこの地域を 密度の高い地域に誘導したいという考え であるわけです。
いくら高密度の建物を造っても、街に顔を背けてしまっては街の活性化には力不足となります。
広口の 「 合同庁舎 」 が率先して活性化の役割をを反故にした事実は致命的ですが、現実を見つめ直すには格好の教材になったとも言えます。
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即ち、昔からの 既存視点に囚われている ことが 「 都城まちなか 活性化プラン 」 の盲点 であるでしょう。
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「 中央通りを捨てろ 」 とは申しておりません、 「 中央通りに囚われ過ぎるな 」 なのです。
- 況してや中央通りは国道、自治体が弄りたくても好き勝手に弄らせてくれないでしょうし。
垂直思考では埒が明きません。一度、頭の中をガラガラポンすることです。
http://kashiwada.miyachan.cc/e213557.html
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Analysis / 現状考察
Thu, 02 Dec 2010 08:00:00 +0900