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異論は認めない。これで決まり 邪馬台国 : 下

2015年02月22日

● 170504追記 : 修正(最終)稿 「これで決まり邪馬台国:やはり筑後そして日向」を投稿

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- 巷で好き勝手に跋扈するしている畿内説で腑に落ちるものはどこにもないし、
- さりとて北九州説に思わず膝をガッテン出来るものがあるかと言えばそれもない。
- ・・・
- どこを見渡してみてもと~んと頷けるものがない。
- 邪馬台国詮索好きの方々は本当に旅をしたことがあるのかしら?机上で旅ごっこしてんじゃねぇよ!

が、前回記事の結論でした。大まかなではありますが、改めて要点のみ纏めてみます。

● 邪馬壱(台)国以下、倭人は海人の民 である。

● 対馬海峡~朝鮮半島南岸 まで 邪馬壱(台)国の管理下 にある。

● 伊都國は倭国の外交窓口不彌國は奴國の港町 の役割を担っていた。

● 伊都國と奴國には港が無かった 故に陸行が行われた。

これらの倭国事情から見えて来たものは・・・

南へ水行20日帯方郡(or狗邪韓国)~投馬國 の意。
 - 復路で考えれば、「投馬國~帯方郡(or狗邪韓国) が 北へ水行20日」と言換え可。

● 投馬國 は現在の 関門海峡・門司~下関の両岸地域 が地勢的にも理。

● 投馬國 から「南へ水行10日」 OR 「陸行1月」邪馬壱(台)国

詳細については前回記事 ○ 異論は認めない。これで決まり 邪馬台国 : 上 を。

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そして、この魏志倭人伝:邪馬壱(台)国への道程イメージを地図に落すと、こうなります。


   クリックで拡大:3236*3610pxl
   ※ 〇の大きさは人口比。ピンク色は女王国の管理下国。黄緑色は敵対国:狗奴國(人口は不明)
   ※ 右上に魏志倭人伝:邪馬壱(台)国への道程に関する文章を記載。



投馬國から「南に水行で10日、(或は) 陸行で1月」で邪馬壱(台)国に到着します。

 - 関門海峡から人力で船を漕いで、1日に何時間漕ぐのか判らないが相応の時間漕ぎ続けて、
 - 夜はおそらく船を着けられる場に停泊する。海が時化ていればじっと時をやり過ごすしかない。
 - 果して、10日は要るだろう。
 - ・・・
 - 手漕ぎの船での海峡抜けは運任せかもしれない。ところで航海は何隻の船で行っていたのか?
 - 実は豊後水道:豊予海峡の潮の流れも相応の覚悟がいる。さてどうする?
 - 命の危険を冒す位ならば、安全策として陸行の決断も当然あり得る。満足な道はないけれど。
 - 果して、1月は要るだろう。

素直に読めば、邪馬壱(台)国は天孫降臨の地、日向の國にあった と思えます。

 - 南九州は縄文時代に火山噴火によってほぼ壊滅したらしいのだが、
 - 弥生時代の九州の人口密集地は、筑紫平野と宮崎南部だそう。
 - それは取りも直さず、どこからか人が流入して来た証でもある。そう、海の民だ。

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ところがです、宮崎の皆さん。そう判断するには、これがどうにもこうにもいけません。

魏志倭人伝には邪馬壱(台)国への道程の他に 倭国風俗に関する記述 があるのですが、
それらは、宮崎の地とするには矛盾する内容 です。誠に残念。

 - 況してや、畿内にあったなんて考えはどこをどう間違っても出て来ない。


 魏志倭人伝の道程文にある「帯方郡~女王国は壱萬二千余里」(上地図右上文14番参照)
  - 1万2千里は帯方郡から北九州一円位まで の距離。 宮崎はちょっと遠い。
  - ・・・
  - また、前回記事で畿内説の愚かさについて触れた。
  - 同様に、宮崎からも朝鮮半島南岸まで掌握できるとはとても思えない。遠すぎる。

 魏志倭人伝の倭人風俗として、赤土による体化粧 の言及が。

  - 倭人伝「以朱丹塗其身體」の「朱丹」の解釈は様々だけれど、単に赤土の意味だろう。
  - ・・・
  - 日常的な慣習は、その地にそれなりの自然環境が備わっているからこそのもの。
  - 例えば、現代でも南太平洋やアフリカ等で体に土を塗る風習の人たちがいる。

 日本の土壌をチェックできるサイトがある。覗いてみよう。

  ■ 「赤色土」分布
         クリックで当該サイトを開きます
    ○ 農業環境技術研究所:土壌情報閲覧システム「赤色土」


  ■ 「暗赤色土」分布
         クリックで当該サイトを開きます
    ○ 農業環境技術研究所:土壌情報閲覧システム「暗赤色土」


 赤土は東シナ海、有明海や周防灘に面した九州、他には山陰、西伊予や浜名湖周辺に多い。

 - と、ここで一言断っておきたい。
 - 投馬國と邪馬壱(台)國が東シナ海に面していたようにも思えるがそれはない。
 - ・・・
 - 何故なら、末蘆國(唐津)から不彌國(福岡)まで歩いたことを全く説明できないからだ。


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また改めて念を押しておけば、方向オンチを正当化する論の肩は持ちません。南は南です。

 - 海の民の方向感覚にダメ出しするなんて笑止千万。私たちの感覚で物事を計っちゃいけない。

となれば、北九州近辺で赤土が普通にある地とすると、ここしかありません。


   クリックで拡大:3236*3610pxl
   ※ 〇の大きさは人口比。ピンク色は女王国の管理下国。黄緑色は敵対国:狗奴國(人口は不明)
   ※ 右上に魏志倭人伝:邪馬壱(台)国への道程に関する文章を記載。



でも、投馬國から邪馬壱(台)国へは「南に水行で10日、(或は) 陸行で1月」 とあります。
・・・
当初宮崎と結論付けたに比べると、余りにも近い?
しかし、ここで思い出して頂きたい。邪馬壱(台)国はかなり用心深いのです。

 - 前回記事でも述べたように、邪馬壱(台)国は勝手な諸国間交易を禁止する程の強かさ。

正に 徳川幕府並の出入管理術を有していた のではないか、が私の見方。

然すれば、このように考えてみたい。

 - 関門海峡から人力で船を漕いで、1日に何時間漕ぐのか判らないが相応の時間漕ぎ続けて、
 - 夜はおそらく船を着けられる場に停泊する。海が時化ていればじっと時をやり過ごすしかない。
 - 更には邪馬壱(台)国に入る前に○○(不明)にて数日間の留置きがある。
 - 果して、10日は要るだろう。
 - ・・・
 - 手漕ぎの船での海峡抜けは運任せかもしれない。ところで航海は何隻の船で行っていたのか?
 - 実は豊後水道:豊予海峡の潮の流れも相応の覚悟がいる。さてどうする?
 - 命の危険を冒す位ならば、安全策として陸行の決断も当然あり得る。満足な道はないのだが。
 - 更には意図的な遠回りの路での陸行を強いられる。
 - 果して、1月は要るだろう。

日本にとって最大の幹線路となるであろう、そしてなった 瀬戸内に睨みの利く九州の地
それがこの 豊前の地 です。他には見当たりません。

 - おっとそうだ。「耶馬渓」の名が江戸時代に付けられたことは承知している。
 - ○ 中津市:頼山陽と耶馬溪
 - ○ Wikipedia:耶馬渓

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ところで、魏志倭人伝には倭人風俗に関して他にもいろいろと言及があります。

体には入れ墨、首を通す穴の開いた布衣。

 - 入れ墨は長江の呉の人々の風習であったと言われる。秦の圧政から逃れ渡来してきた可能性。
 - 衣は中南米に見られるポンチョみたいなものか。いたって単純な作りであったことには相違ない。
 - おぉぅ、冬は寒そうだ。温暖だとは描いてあるが、風邪には気を付けろよ。

  ・ ※ 注釈追記
  ・   ここでの 「呉」 は三国志で有名な3世紀「魏・呉・蜀」の「呉」ではなく、
  ・   紀元前6・5世紀は 「呉越同舟」で名を残す「呉」 であるのでご注意を。

稲作、そして野菜作りも盛ん。

 - 稲作はもちろん、温暖な気候を生かして夏冬と野菜作りをしていたらしい。
 - しかしこの時代、日本に馬はまだいないし家畜としての牛もいない。

潜水による漁。

 - 流石に海の民、素潜りで漁をしていたようだ。入れ墨は災難除けのまじないでもあった様。
 - ・・・
 - 末盧國でも描かれ、倭人風俗ということで再度触れられている。この意味は大きい。
 - 倭人伝に描かれた人口をみれば、投馬國と邪馬壱(台)国の比重がかなりのものである。
 - - 上記地図を参照。敵対国の狗奴國(黄緑)の大きさは不明なので邪馬壱(台)国に合せただけ、ご注意。
 - この2国が内地にあったとは考えられない。絶対に海に面していたはずである。

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最後に、先に関門海峡の 地勢的な重要さ を述べましたが同様のことがその地にも言えます。
畏れ多くも、もしその時天の上で「お前はどこが欲しいか?」と問われたとしたらどうしましょう。
私なら即答、 豊前をください




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